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Tag: Berlin


  • HOSHIKO YAMANE + MAKOTO SAKAMOTOに密着取材した「THE LIVE AND DOCTMENTARY FILM」の3日間連続上映が決定!

    Tangerine Dreamのメンバーでありながら、ソロ名義Tukicoとしても活動するヴァイオリニスト・山根星子 (Hoshiko Yamane) と、ノイズサウンドアーティスト・坂本真 (MAKOTO SAKAMOTO) が出演する「THE LIVE AND DOCTMENTARY FILM」が、5月のプレミア公開を経て、6月25日(金)・26日(土)・27日(日)、それぞれ日本時間の0時より3日間連続で上映が決定。同時に日本版予告映像も公開された。 本作は、2人にとって約1年半ぶりとなるレコーディングの様子をMOLS magazineが密着取材・撮影したドキュメンタリーフィルムであり、彼らの気迫ある表情や圧倒的な演奏技術・手技など、ライブでは体感することが出来ないような超至近距離にまで攻めた観客にとって見応え十分なライブフィルムでもある。 2019年11月に開催された「Faahrenheit」アルバムリリースイベント以来、世界的なパンデミックによってロックダウンとなってしまったドイツ・ベルリン。以降、彼らは顔を合わせることもないまま、それぞれの出来る活動に集中し各々でリリースを続けた。 ヴァイオリニスト・山根星子は、イタリア出身のアーティスト・Eraldo Bernocchiとのコラボレーションアルバム「Mujo」のほか、自身が毎週欠かさず更新を続けたYouTube企画「Live Music Cinema」のセッションから制作されたサウンドトラック集「Sketches​」を発表。ソロ名義”Tukico”としては、カセットテープアルバム「Parallel Worlds」、CDアルバム「Primitive」、デジタルシングル「Apollo 21」をリリース。さらに、東京とベルリンを繋いだビジュアルと音楽のオンライン即興ライブ「Live Visual × Live Music online concert」の音源リリースなど、数多くのリリースを発表し多くのファンへ元気と癒しを届けた。 ノイズサウンドアーティスト・坂本真は、ソロ名義としてシングル「VELVET PROOF」を発表。彼はロックダウン中も様々なアーティストと交流を続け、ベルリン在住のピアニスト・Rieko okuda、ギタリスト・Ryusui Tatsumiとのノイズバンド「夜光虫 – noctiluca」で、カセットテープアルバム「Prelude」とデジタル「Prelude – Digital Remaster」をリリース。また、ベルリン在住のDJ/プロデューサーでレーベル”HOLIC TRAX“主宰でもあるTomoki Tamuraとのダンスユニット「TOMATO BEAM」を始動。2021年4月には、実弟・Yutakaとのダンス・テクノ・ユニット「Sub Human Bros」としてデジタルアルバム「THE DREAM THEATER」をリリースし、ジャンルという垣根を飛び越え、唯一無二のサウンドを制作し続けた。 そして2021年、再びセッションを再開した2人は、5月15日(土)西ベルリンにあるトイフェスベルク・スパイ塔にて、Teufelsberg Domecastが主催するオンラインイベント「Micro-NoiseLab 2021」でドームのナチュラルリバーブを用いたレコーディング実験を行い、それぞれの音楽が持つ特徴や関係性を再確認しながら新たなアルバム制作へ向けデベロップしていった。 誰にも真似できない彼らだけの必殺技がふんだんに盛り込まれた「THE LIVE AND DOCTMENTARY FILM」のチケットは、音楽プラットフォーム「bandcamp」にて購入可能。更に今回の上映チケットをお求めの方には、このフィルムの為に制作されたミニアルバムEP「versteckt」が同梱されます。 bandcamp配信で彼らのパフォーマンスを見ることが出来るチャンスです!みなさま、是非ご友人を誘って当日はお楽しみください! THE LIVE AND…

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  • MAKOTO SAKAMOTOインタビュー: 不規則な世界に求めるもの

    2021年1月2日、ドイツ・ベルリン在住のサウンドアーティスト・MAKOTO SAKAMOTOが2曲入りシングル「VELVET PROOF」をデジタルリリースした。 音そのものによって圧倒的な個性を際立たせる彼の最新作は、”未完成の美しさとダークな世界観が放つ異形のアンビエント・サウンド”という言葉が相応しい。長年に渡るプロジェクトを経て作品が世に放たれるまで、作者がどのようなプロセスでどのような想いを込めて制作していたのか、普段の私たちは知ることもない。 今回はインプロヴィゼーションアーティストとして注目される彼について、新作「VELVET PROOF」にまつわる技術や制作方法から、自身のキャリアを総括するような音楽論、普段意識していることなど、合計1万字にも及ぶロングインタビューをご紹介したいと思います。 新作「VELVET PROOF」について、表題曲の「Velvet Proof」は実験的な音像を作るために特殊な手法で制作されたと聞きましたが、その方法を聞かせてください。 この曲は、スピーカーからの出音でモニタリングしながらボーカルや周囲の音をコンデンサーマイク一本で録音し、シンセサイザーの音は有線でミキサーへ送り、それらをその場でミックスしてDATへ一発録りしています。シンセサイザーを弾くのも、ボーカルを録るのも、ミックスダウンも全部リアルタイムで録音しました。 マイクはスピーカーから真っ直ぐ音が届く場所に設置して、その正面からボーカルに歌ってもらいました。単一志向性のマイクなので、直接外周音は入って来ないでわざと軽くフィードバックする状態をつくっています。モニタースピーカーからはシンセサイザーの音とボーカルの音声が流れているので、完全にライブコンサートのレコーディング環境と同じ手法です。ボーカルが中低域から高域部分に位置するので、その他の全ての音を低域に集めてミキシングしています。なので、ボーカルより上で音が鳴ることはありません。 「Velvet Proof」は、ヘッドホンで聴いたときとスピーカーで鳴らしたとき、環境によって違った音楽に聴こえるような気がします。Makotoさんがおすすめする試聴環境、もしくはシチュエーションはありますか。 重低域がしっかりと鳴らせるヘッドホンもしくはイヤホンで聴くと、この曲の特徴でもある低域のグルーヴ感が味わえます。特にワイヤレスイヤホンBOSE SoundSportFreeで聴くことで、MASARAの身体の中に入り込み、彼女の心臓音とともに神秘的な声を楽しむ事ができます。 確かにおすすめのイヤホンで聴くと、重低域が自分の胸の位置でどくどくと脈を打つ感覚にとても興奮しました。 今回マスタリングを依頼した京都在住のエンジニア・Gen Seiichiさんとは、スピーカーから出た時にどんな鳴らし方をするかというのを、じっくりと打ち合わせして決定しました。根本的にマスタリングはどんな環境で聴いても同じように聴こえるのが定義ですが、今回は一つ一つの環境が違う場所でも機能するオリジナルな音像とマスタリングに仕上げてくれました。 BOSE製品は必要以上に中域から高域が出てこないので、マスタリングする前のミックスダウンが終わった状態で、リファレンスモニターとして聴くのに重宝しています。一般的には中域から高域が綺麗に鳴らしきれているものが”いい音”だと言われてはいますが、BOSEは良い意味で煌びやかな部分が無く、自分で音像を作ろうという思考にさせられるんです。BOSEのスピーカーでちょうどいい感じに出るくらいに高域を持ち上げた方が、そのあと他のスピーカーで聴いた時に、低音を出しすぎずちょうどいいバランスに仕上げられる気がします。 二曲目の「White Loop」はテープループを用いた手法で録音されたと聞きましたが、それはどういったものですか? 通常のカセットテープを自分で解体して、全長が5秒ほどしか録音できないテープを自作します。カセットテープは、一般的に前に録音されていた音源を消しながら上書き録音する仕組みだということはご存じかと思いますが、その消去するイレイザーへッドにアルミホイルを挟んでレコーディングすることで、オーバーレコーディングが可能になります。この方法でレコーディングすると、幾つもの音のレイヤーが重なり心地よいアンビエンスが生まれ、再生した時に同じ音がぐるぐる回り続けるという仕組みになります。 この曲もその場でピアノを即興でレコーディングし、その音源を流しながら即興でボーカルに歌ってもらいました。そして、ミックスダウンもすべてDATに直接一発録りしたものです。二曲とも、リアルタイムに演奏、ミックスダウン、レコーディングまで全て同時に行われています。 このカセットテープループの手法は、友人のサシャ(Sasha)から教えてもらいました。彼はベルリンでワークショップを開き、テープループを使ったアンビエントミュージックをYouTubeで公開しています。 彼のYouTuubeチャンネルを拝見しましたが、非常にポップでキャッチーなサムネイルがいくつも目に止まりました。自作テープのワークショップは、ぜひ私も体験してみたいです!では、今回”UNKNOWN”として初めて女性ボーカル・MASARAを起用したということでしたが、彼女とはどのようにしてコラボレーションに至りましたか? 彼女はベルリン芸術大学に通う若いアーティストで、エクスペリメンタルミュージックに興味があると言いました。当時LOOP HOLEというライブハウスまで僕のパフォーマンスを観にきてくれた時に、スタジオでセッションをする日取りを決め、スタジオに招き、その時に録音しました。「Velvet Proof」は、初めてセッションした時に録音されたものです。 すごい…!出会って間もなくセッションを実行したということですね。 そうですね(笑)。二回目に会った時に「White Loop」を作りました。一回目は初期衝動と緊張感を収め、二回目は初回よりもお互いにリラックスした状態で制作しました。 個人で音楽を作るときと、誰かとコラボレーションをするときとでそれぞれ大事にしていることはありますか? 個人で音楽を作る時は、なるべく型にはまらないようにするというか、過去に作ったものと似たものを作らないよう心掛けています。僕はフィーリングを重要視します。タイミングであったり、作る環境であったり、自身の精神状態を出来るだけ頭でイメージするものに近づけるというか、イメージ化したものを実行できる環境を作ります。 他人と何かをする時は、イメージや到達点に対する拘りよりもその瞬間に生まれるフィーリングを大切にしていて、自分は拘りすぎず、コラボレーションするアーティストの意見を優先することが多いです。相手と自分を掛け合わせた時に何が出来るかというところを重視しているような気がします。一人で取り組んでいる時はどれだけ我が出るか、いわば、どれだけ拘ることが出来るかだと思います。 一発録音といえど、いつもコンセプトを考えてから制作していますか? その時々ですね。人とやるときはある程度イメージを固めて、メロディやコードは決めずにやることの方が多いです。それを決めてしまうとインプロヴィゼーションでは無くなることが多いし、実験的では無くなるので。僕は人と人とが生み出すケミストリーをいつも楽しんでいます。 ノイズ音楽の即興レコーディングの場合は、まず好きなつまみを触ってその音を聴きながら和音にしてみようとか、いくつかのシンセサイザーを掛け合わせてハーモニーを作ってみようとか、出た音をシンセサイジングしながらイメージを構築していく事もあります。そのうち、今度は自分の中に映像が飛び込んできて「じゃあ今やっている音は第一章で、次に飛び込んできた映像を第二章に持っていこう」と展開を続けて録音していくことが多いです。それがそのままライブパフォーマンスへと繋がっています。 即興音楽について、スタジオで一人で録音する場合と、人前に立ってライブパフォーマンスする場合では、意識の方向性に違いや差はありますか? 違いや差はあると思います。本当は駄目だと思うけど。でも、今は人に見られていることを忘れてしまうほどプレイに没入しているので、その差は無くなってきたように感じます。 僕はスピーカーの出音でバランスを意識しながら音を出すことが多いので、スタジオだと自分が聴いて自分が良いと思った音作りをするのが基本なのですが、人前でパフォーマンスをする時は、ライブハウスの環境や人の密度であったり、周囲の環境音を聴きながら音作りすることを心がけています。 僕は現場でも出音で確認することが多く、その時小さな音は聴こえていないので、スタジオワークのように細かい部分にまで気が行き届いていないことがあります。ただ、ライブハウスには演者と観客とスタッフがいて、一人一人が物質として存在感やオーラも放っていて、そういったものが全部混ざっているということが僕にとってのライブのような気がします。 パフォーマンス後、自分がライブで感じていた音とは全く違うようなものが録れていたりすることがあるんです。その理由はきっと、その場所のバイブスであったり、人からもらう緊張感や緊迫感が混じり合って、自分が想定できない意識の外側で起こっているものが録音されているんだと思っています。 普段の生活が気になりますが、毎日の習慣や意識していることはありますか? どちらかといえば、不規則な動きの方を意識していると思います。 ルーティーンと呼ばれるもので言えるなら、毎朝20分間の簡単な筋力トレーニングや体力作りは欠かさないように心がけています。走っている時は考えていることを整理したり、リフレッシュしたり、悩み事や答えの出ていないものを走っている間に解決させています。ジョギングが終わったら次のステップに進めるように、走りながらクリーンアップするというか。走っている時は基本スマートフォンも何も持たないので、思いついたアイデアは忘れない様にUSB型のボイスメモに録音しています。 あと、いつも何か集中するときはスマートフォンの電源を切ってオンとオフを切り替えるようにしています。外からの情報を制限することによってオリジナルを生み出すことが出来るからです。 新しい知識を取り入れすぎないようにする、ということでしょうか? 現代に見られる多くの作品は、”情報の水”で薄められているものが殆どです。それはきっと、現代人のインプットとアウトプットにかける時間の比率が大きく偏っているからだと思っています。今はなんでもネット上で問題を解決することができますが、そのバランスを誤ると、本来私たち人間が潜在的に持っている直感力であったり、オリジナリティーが衰退してしまう原因にもなります。 例えば、面白いなと思う映画や小説の時代背景を辿っていくと、簡単に情報なんて得られなかった時代のものが多く、当時の芸術家は圧倒的にインプットが少なかったということが分かったんです。勿論、今の時代の変化と共に自身の思考や価値観も変わらなきゃいけない場面もありますが、自己を表現するという意味では、外部から得た情報ばかりでは脳に負荷がかかり過ぎてしまっていたり、いざという時に自身のアイデンティティーが発揮できない事があると思うので、日頃からインプットだけではなくアウトプットする為の余白も十分に持っておく必要があると思っています。 では、ルーティーンを決めずに不規則な動きをすることに対して理由はありますか? 不規則な動きをするというのは、不規則な動きが出来る様になるということに繋がっていると思います。 例えば、ジョギングをする時にも、家を出た瞬間に走り出すこともあれば、走ってみてすぐに歩き始めたり。いつもジョギングしているコースを全て歩くだけで終わってみたり。表現者として、不規則な中で生まれたアクシデントや自分が予想だにしないものに対してアクセプトして、力まずにアウトプットするという癖を作るために細かなルーティーンは決めていません。規則的な生活からも閃きはあるけれど、不規則な動きをしている方が、単純にいろいろ思いつくというのはあると思います。 ミニマルミュージックについて聞かせてください。音楽の多くが「足す」ことで構成されていますが、ミニマルな音楽は「引き」の考え方で構成されているかと思います。例えば、「MS005EP01」も非常に音数が少なくシンプルなのですが、同じ事をただひたすら繰り返すのではなく、微妙に変化していることが特徴的ですね。ベルリンでミニマル音楽と密接に触れ、Makotoさんの中で感覚が変わったことはありますか? ミニマルで一番代表的なのはテクノミュージックだと思います。テクノで一番大事なのは、結局”音”そのものです。キック一つに関してもその音自体のクオリティが非常に高いものでないといけなかったり、特にミニマルミュージックが盛んなドイツでは音自体に拘る人が多いので、自然と自分も足して作られたものの煌びやかさや華やかさというよりも、シンプルな音構成の中から生まれる複雑さを追求するようになりました。 ミニマルになると必然的に一音一音の音質ディテールが重要になってきます。しかもDATテープに一発録音なので、その一瞬を一回の録音で良いと思える音に仕上げる為に、ストレートレコーディングする際のレコーダー、アンプやコンプレッサーEQのチャンネルストリップ類には気を配り、その為に必要な最低限の機材を使っています。…

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  • 没入する:アウクスブルクの実験音楽フェス “re:flexions sound-art festival”

    ベルリンで毎年行われる実験音楽の祭典”Berlin Atonal”は、今年の開催を見送りに。私は、2019年に初めて参加したAtonalの写真を見返しながら、大きなダンスフロアで、爆音のなか思いっきり踊り明かせる日が来ることを待ちわびるしかなかった。 ”ニューノーマルな時代”と呼ばれることへの抵抗も無くなり、ベルリンでは徐々にではあるが、クラブイベントやライブパフォーマンスの開催も増え始めている。しかし、ベルリンで主流となっているFacebookページからのパブリッシュや招待は、警察の取締りが厳しく、昨今は、ダイレクトメッセージや、当日まで開催場所を公開しないアンダーグラウンドなイベント内容が目立ってきた。 やはり驚くのは、ベルリンで活動するアーティストたちのカルチャーに対する熱意と実行力である。そしてその中でも、アートの根を絶やさぬよう、今最も活発的で根強いジャンルが、エクスペリメンタル・ミュージックやサウンドインスタレーションである。 ベルリンといえばテクノの印象が強いが、テクノ・ミュージシャンがエクスペリメンタル・アーティストへと転向することは珍しくない。実験音楽へと没入するアーティストは、テクノ、パンク、メタル、ノイズ、時にクラシックと幅広く、無限の可能性を秘めた精神音楽のような気がする。 8月に入った頃、ヴァイオリニストのHoshiko Yamaneさんから、「re:flexions sound-art festival 2020」のコラボレーションアルバム「r/e」を頂いた。 「re:flexions sound-art festival」は、ベルリンから600km離れた街・アウクスブルクにて、2017年から毎年開催されている実験音楽の祭典で、このアルバムは、元々フェスティバルに招待されたアーティストたちによるリモートセッションで収録されたコンセプチュアル且つスペシャルな作品。今年は7月4日に開催される予定だったが、コロナウイルスによる被害拡大を懸念し、ラインナップを一部変更して開催されたそう。 参加アーティストは、Bu.d.d.A.(Sascha Stadlmeier&Chris Sigdell), Fabio Fabbri, Hoshiko Yamane, Agente Costura, Boban Ristevski, Occupied Head, Calineczka, Gintas K, Wilfried Hanrath, KOMPRIPIOTR, Lee Enfield, Waterflower,N​(​91), deepの13組。 ドイツで活動するアーティストたちに規則性はない。時とともに流れ、進化し続ける姿勢であることが、表現の幅を広げることに必要不可欠なのだ。 実験音楽というと日本では未だ馴染みの少ない音楽ジャンルではあるが、なんとなく実験音楽というジャンルが時代に追いつき始めたように感じる。現在、アルバムでの販売は終了している状態だが、bandcampで視聴可能となっているので、気になった方は是非聴いてみてほしい。 re:flexions sound-art festival Official Webpage

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  • Dasha Rushが捉える音響空間とサウンドの関係性 – トイフェルスベルク元スパイ塔跡地

    words : ARI MATSUOKA ベルリンの壁が崩壊した1989年以降、物凄い早さで急成長を遂げるこの街には、今もなお未開発の廃墟が沢山存在している。ベルリンでは新旧の建造物が共存する魅力的な街でもあるが、やはり建物自体の寿命には敵わない。私自身、移民としてベルリンで過ごした1年間のあいだにも、老朽化したアパートや建造物が惜しまれながらも取り壊されていく瞬間を何度も目の当たりにした。 最近だと、ミッテ地区にあった「タへレス」というアートハウス(スクワット)が跡形もなく無くなってしまった。ベルリンアートのシンボルだったタへレスは、2012年の閉鎖以降、建物こそ存在を残していたが、私がこの街へやってきた2019年の夏、その面影はあっという間に消えてしまった。 こうして次々と現代に均されていく中、西ベルリンの小高い山の上にあるトイフェルスベルク元スパイ塔跡地にて、ベルリンで活動するダシャ・ラッシュがレコーディング実験を行うということで現地へ向かった。 「悪魔の山」と呼ばれるトイフェルスベルクは、第二次世界大戦の爆撃で廃墟になったベルリンの瓦礫を集め、それらを積み上げてつくられた人工的な山。冷戦時代にアメリカ軍とイギリス軍が、東ドイツ、さらにはソ連の無線傍受に適しているとして、西側諸国が諜報目的でレーダーを設置した。かつては盗聴用として建設されたスパイ基地だが、ベルリンのアーティストや音楽関係者たちはその特徴的なドーム型の空間に目をつけ、新たなサウンドスペースへと変貌させたのだ。 8月16日、この日のレコーディング実験は、出演者及び関係者からのダイレクトメッセージで招待されたものだけが参加出来るというパーソナルなイベントだった。駅から会場までは徒歩で約30分、西と東が資本主義と社会主義によって分断されていた当時を思わせる、その異様なドーム型の物体を目指して山の頂上へと向かっていった。 このイベントはドッツ・ギャラリーが主催しており、不定期で建物全体を使ったサウンドパフォーマンスやインスタレーションを行なっている。 上部にあるドームは、いわば自然な放物型のリバーブチャンバーとして用いられ、何百メートルもの音響ケーブルを使用し本館1階にあるドッツ・ギャラリーの録音スペースからドームへと音楽が送られる。ドーム内へ送られた音響信号はL/Rのスピーカーで再生され、その反響音が2つのマイクで録音され1階にある録音スペースへと返されるという仕組みになっている。 光の屈折と同様、音に関しても広い空間と狭い空間では音の鳴り方が異なり、空間に存在するオブジェクトの材質などによっても変化してくる。今回着目する点は、そのオブジェクト(元スパイ塔跡地)とドームを使った反響音(リバーブ)である。ループした同じ音源にも、リバーブを加えることによって音全体の肉付きが良くなり、艶っぽい印象を与えてくれる。アンビエントやエクスペリメンタルミュージックのライブパフォーマンスを専門とするサウンドアーティストたちにとって、音響空間表現を熟知することは非常に重要なことなのだ。 写真ではわかりにくいが、大きく開いた扉の奥にはドッツ・ギャラリーの録音スペースがあり、ダシャ・ラッシュとオペラ歌手のサロミエがパフォーマンスし、観客は目の前に設置されたオリジナルスピーカーから流れる幻想的な音響空間を楽しむ。 正直かなりマニアックな実験パフォーマンスだと思ったが、観客の中にはアーティストや音楽業界で活躍する人たちの姿が多く見えた。 会場で使用される機材はほとんどが自作のもので、写真のようなカートと一体となった移動式スピーカーが左右に2台設置されていて、左側のスピーカーからは録音スペースからリアルタイムで送られる音が流れ、右側のスピーカーからはドーム内へ送られ反響して返ってきた音が流れる仕組みになっている。 この日のメインアクトであったダシャは、自身のレーベル「フルパンダ・レコード」を主宰するDJ/プロデューサーであり、アーティストやダンサーと共に劇場や映画館などでインスタレーションを開くなど、より実験的で芸術的なサウンドアーティストとしても活動している。 今年はコロナウイルスの影響もあり、世界各国で音楽フェスや大きな野外イベントは軒並み中止。ベルリン市内では、未だライブハウスやクラブハウスの営業規制が厳しい状況にある中、常に音楽とその他芸術表現の融合を研究し続けるベルリンのアーティストたちの強い意志と実行力を目の当たりにした。ベルリンで活動するアーティストたちは、既にニューノーマルな時代へ突入していくこと受け入れている。寧ろ、コロナウイルスの猛威について未だ議論を交わしている人は少なく、自然環境問題や貧困国の食料不安など、更に大きなテーマについて真剣に考え訴えかけるような動きを見せているように感じる。 NASAは時々、宇宙からやってくる電波の振動を音に変換したデータを公開しており、音楽家ブライアン・イーノは天体物理学者と組んで星の内部で発生した音で宇宙オーケストラを作ろうとしている。これからの時代は、ただ流行りを追うものではなく、私たちの日々の暮らしに関係する言葉や雑音、自然音に寄り添うようなサウンドが求められるだろう。 Dasha Rush Official Webpage Instagram Alexandra Pyatkova YouTube DOTS Gallery Official Webpage Instagram

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  • プカプカ

    プカプカ

    先日、ベルリンに住んでいて初めて湖に行った。 その日は6月だったけど気温は31度と夏日のようで、人生で初めてタンクトップ一枚で外へ出掛けた。逞しい二の腕をしているので、これまでキャミソールやタンクトップで周りの目を気にせず外出出来る人が羨ましかった。でも、この一年でいい意味で無駄な羞恥心も消え、他人の目を以前より気にしなくなってから、よし今だと腕を出して外に出た。たったこれだけのことなのに、私にとっては結構なチャレンジだった。海外に出てくる勇気があるのに、タンクトップを着て外を出歩けなかったなんて、ヘボくてなかなか言えなかったんですよね 。 電車を乗り継ぎ、湖の辺りまで徒歩も合わせて約2時間。Liepnitzseeという森の中の湖へ。 ベルリンの都心部にも遊泳できる湖は多いみたいだけど、その日は夏日。皆、きっと考えていることは一緒に違いない。小旅行気分で、1時間も電車に揺られていれば沢山の自然公園と出会える。そんなベルリンも、ようやく滞在1年目で知ることが出来たので単純に嬉しかった。 砂場に到着するなり、早速服を脱いで水着姿になる。水着で日光浴なんて、何年ぶりだろう。粒が細かい砂が指の間をさらさらと抜けて、10歩先の湖では水飛沫がキラキラと反射していてとても涼しそうで。 夕方5時頃、しばらく日光浴を楽しんだあと、水温が低くならないうちに泳いでみようよと湖に向かった。水は冷たかったけどめちゃくちゃ気持ち良くて、でもあっという間に足の届かない場所まで来てしまって、ビビリな私は岸の方でプカプカと浮かんでた。背中を水面につけて、空を見ながらただ漂うだけだったけど、自粛期間も少し明けたところ、いいリフレッシュが出来た。 多分20分くらいはプカプカ浮いていたと思う。体が冷えたところで再び砂浜に戻って、ただ横になってぼんやりする。紛れもなくバケーション、小学生の夏休みのようなひと時だった。 特にオチがないただの日記だけど、こんな感じで何も考えずに日帰り旅をしたことが嬉くて。 夏の時期にベルリンに来ることがあるなら、是非湖にピクニックもプランに入れて欲しい。日本の家族が来た時には、是非連れて行ってあげたいと思った。

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  • Reflection

    Reflection

    ベルリンで活躍する音楽家Makoto Sakamotoさんの新しいアルバム「Reflection」が8月にカセットテープ及び、AppleMusic、Spotify、SoundCloud等のサブスクリプションにてリリースされた。まだ実際のパフォーマンスを拝見したことがなく、ファーストインプレッションとなる。 先ず、最近カセットテープが再熱している件について少し話したい。 やっぱりデジタル音源もいいけれど、アナログ音源として実際に物質として残すことは、本来人間が好んでやってきた「記録する」という習性に習っているように感じる。個人的には、今後、CDは衰退する、もしくはMDのようにこの世から無くなってしまうものだと思っている。そもそもCDというものは、標準44.1KHz/16Bitのデジタル音源であって、それをわざわざPCにダウンロードして聴いているような人ももはや居ないに等しい。物質として手元に残すのであれば、私はVinylやカセットのような、少々聴くのに手間がかかるものを選ぶかな〜とか考える。 アナログのいいところは、試聴者側が音を鳴らすまでの「所作」にある。 カセットであれば、透明のビニールカバーをチーッと剥がして、今や持っている家庭も珍しいだろうカセットデッキに挿し、暫くのリール音の後に続く音に耳を澄まして聴く、この一連の所作に愛着が湧くのだ。 そもそも、カセットテープはチープな音がするという言葉に少し疑問を持つときもある。カセットテープは、レンジ(音の帯域)がデジタル音源に比べると狭く、中音域にエネルギーが集中しているので、音に広がりが感じられにくいという部分はある。デジタル音源に比べ、収録できる周波数に限りがある分、その中でどれだけ空間を集約させるかに、昔のアーティストや音楽家は一生懸命考えたんだと思う。 “音の良し悪し”は、単に数字で測れるものでもなく、肌や匂いなど、五感を使って感じられるものがあるということに気づくことが出来れば、もっと面白くなるのになと思う。 「Reflection」に収録されている楽曲について、実は本人より事前にこのアルバムのコンセプトについて話を伺っていた。ただ、完全に個人の意見になるが、特に印象的に残ったシーンをタイトルと一緒に、今回は解説ではなく、考察していきたい。 1.「I Hope You’re Feeling Better」 先ず「Reflection」の全体を聴いて初めに感じた印象は、宇宙空間のような壮大でスピリチュアルなものというより、どこかパーソナルで、郷愁のようなものだった。 「I Hope You’re Feeling Better」の冒頭、目を瞑ると見えてくるのは、ノスタルジックな色合いに染まった風景で、靄がかった草原や浅い川が見える。人の気配も感じられず、ただグレーでスモーキーな風景が広がっているだけ。 途中から、ふと、人の気配を感じるのは、一台の小さな白い車が、ただ真っ直ぐで平たい道を走ってゆくのが見えたから。それまで気配のしなかった様子から、もっと感覚を集中させると、徐々に辺りの濃淡は薄まり、遠くで1軒の小屋が見えたり、鳥が数羽、浅瀬で水を飲んでいたり、徐々に視界がひらけてゆく。 冒頭1曲目から13分というとても長い楽曲だが、1曲目にして、このアルバム全体のエピローグ(物語の結び目)を表しているようで、アルバム全体の重要なテーマを訴えかけてくるように聴こえる。曲の始まりと終わりで、少しの余白というか、敢えてホワイトノイズのような音が流れる。まるでVHSをビデオデッキに入れた後のほんの少しの”ポーズ(休止)”みたいだ。1枚の写真を見て、そこからある程度のストーリーが把握できるように、「I Hope You’re Feeling Better」は作品全体の回顧録なのだ。 そういえば、アナログレコードに関して、外周を使う1曲目の方が音質的には有利であり、音楽の情報量は時間あたりにトレースできる溝の長さに比例するので、外周の方が音質は良くなる。だからアナログレコードは1曲目が最も推したい曲である、という話を思い出した。 2.「Reflection」 続く、2曲目にアルバムのタイトルでもある「Reflection」。1曲目で早速、このアルバムの核の部分を見たような気になったので、ここからようやく物語のページをめくっていく感覚だった。 この曲では視点が変わって、部屋の中で眠っている最愛の人の息遣いや、体温を感じる。シーン全体を捉えるというよりかは、ズームした視点で、肌質や髪の柔らかさを間接的に触れているような感覚だった。シルクのカーテンの奥で反射して、眩しいけれど、その先に、愛おしさや尊さを感じ、相手を想う。シンプルなピアノのメロディーが穏やかで、その音が何層にも重なり、輪郭がぼやけてゆく様子が視覚化される。この曲を聴いていると、母親や父親から優しく撫でられながら眠りについた幼い頃の記憶が蘇る。きっと親にとって子は、光のように尊く繊細な存在であり、無償の愛を注げる形のある命なのだと語りかけてくるかのように。 3.「You Are Thinking About Yourself」 前2曲と比べ圧倒的に短く、時間の速度が違って見えた。まるでフラッシュバックしているかのような断片的な記憶が幾重となく繰り返され、そして、もう戻ることはない違うステージへ進んでいくようだ。 2分30秒という時間の中で、これまでの2曲は1シーン限りの断片的な物語に見えていたものが、3曲目で一気に形が交ざり、”浄化”されていき、そして現在・未来へつながっていくようなそんな気分になった。体感速度ではとても早く感じるが、恐らく、時間の経過は曲の時間に反比例し、とても長い年月を集約したものを表しているように思えた。 4.「Will Soon Calm Dawn」 ここまでで、自分の心拍数が少し荒々しく、やや乱れていることに気付く。 このアルバムを聴いて感じたことは、収録された全ての曲を最初から最後まで通して聴くと柔らかな曲として聴こえるが、一曲一曲はとても重く、静寂の奥にある違和感と緊張感にはっとする。安心と不安、私たちは常に両方を求めている。 音楽とは、私たちが想像するよりも、もっと形をなくすことも出来れば、あらゆる形にだってなれる。そんな道しるべを見つけたように感じて、この自分の異変にも納得がいくような気がした。 「Will Soon Calm Dawn」では、過去の記憶から覚め、冒頭1曲目で見た同じ風景が見える。広い草原や浅い川は以前よりも明るく澄んで見え、身に纏った洋服の裾が風にそよぐ。霧は遥か遠く、初めにいたあの頃からは随分と時間が経ったようで、もしかしたらほんの数分前のことだったのではないかと、やや寝ぼけた様子で考えているように見える。 5.「See You Again」 私はこのアルバムを通して、これまでの過去の音楽で培った感性は捨て、ありのまま、素直に感じるままに書いてみようと思った。この考えを持って「See You Again」を聴くと、1曲目と4曲目、2曲目と5曲目の印象が少し似ているように感じる。 1曲目に初め感じていたエピローグという表現も個人的には好きな考察だが、「I…

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  • 逞しくなる

    逞しくなる

    先日、ベルリンに来た友人が「逞しくなったんじゃない?」と声を掛けてくれた。ドイツに来て2ヶ月が経ち、早速大阪にいた頃の友人に会えた嬉しさと、どこか今まで肩の力が入っていた部分がするっと解れたことで、単純だけど泣きそうになった。 正直、既に何回か日本に帰りたいと思ったこともあるし、自分がなんのためにベルリンへ来たのか軸がぶれることが何度もあった。本来はアイスランド音楽が好きで、ドイツを選んだ理由は「過ごしやすさ」と「夢の実現のための通過地点」で選んだ土地だった。ベルリンのカルチャーも勿論大好きで、暮らすのであれば、現地のリアルな音楽シーンやメディアアート分野ももっと知りたいなと思っている。だけど、本来の自分のなりたい人間にそう簡単にはなれないわけで、その中で何を優先すべきか選択する場面が重なると、あれ?自分って何の為にベルリンに来たんだっけ…と、目的を見失いがちになる。お金も維持しなきゃいけないし、暮らす為には必要な手続きもしないといけない、言語も勉強しないといけない、人間関係も新たに構築したい、今まで日本にいたままだと全て「面倒臭い」と後回しにしていたことを今は一つ一つ道筋立てて継続していかなければいけない。改めて、私はとてもいい機会に海外に来たんだなと思い、泣きながら、失敗しながら、時間や経験をお金で買っている状態なんだと思う。 1年後の自分を覗いてみるけど、まだ薄くベールを張ったまま全貌は本人でわからず。ただ、日本にいる頃から「ああなりたい」「これがしたい」と言っていることは一つずつでも叶えてきているので、これからも定期的に今までの自分の行動をブラッシュアップして整理していきたいなと思う。

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  • 扱いづらさを持つ

    扱いづらさを持つ

    題名の話は後半に回すとして、昨日は日本にいる時から憧れていたKana Miyazawaさんのお仕事に同行させていただき、あるメディアの取材風景を見学いたしました。前日は変に緊張してしまい、軽いアシスタントなだけなのに何かをシュミレーションしながら、変に構えていました。結果、当日の現場では終始和やかなムードで、ビールを飲みながらインタビューをするKanaさんとキエフから来た「Closer」のフィメールPRのAlisaさんを記録していました。初めてのロケハンだったので、カメラマンのSakiさんの動きや、取材への姿勢を目の当たりにして、とても貴重な経験となりました。 題名について、私は以前より一貫して「扱いやすい」だけの女性にはならないように心掛けている。親しみやすさは、人間関係の構築には必要不可欠なものだが、女性らしさも兼ね備えながら、一筋縄ではいかない「芯の強さ」は決して失わないようにしたい。 私が憧れる働く女性は、背筋が伸びていて美しい。少女と大人の女性の中間地点にいて、だいたい「なんだか魅力的だな」と思う人って、決して「扱いやすい人」ではない。その人らしさがあって「絶対的なもの」を持っている。妥協を許さず、人としての美しいを表現できる人は問答無用でかっこいいなと思う。 今週末は引っ越し。しばらくは体力温存しておこう。

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  • ETHE REAL

    ETHE REAL

    先日ベルリンで開催されていた「Performing atrs festival 2019」のパフォーミングの一つでコンテンポラリーダンス「ETHE REAL」の公演を観に行った。詳しい内容については後日記載するとして、私は初めて至近距離でコンテンポラリーダンスを鑑賞し、まるで彫刻やスカルプチュアを学んでいるような感覚であっという間の1時間だった。夢と現実の中間地点で、シーンはある男女のやりとりから始まって、夢の中で囁く悪魔の歌声、昆虫同士の食物連鎖や向こう側の世界との対話など。シーンは目まぐるしく変化していったが、初心者の私でもその世界観に入っていくことができたのでとても楽しかった。 文章にすることはまだ慣れていないので、これからしっかり勉強していこうとおもったが、コンテンポラリーダンスは理解するといった切り口で観るのはなんだか違う気もする。観にいくことはとても勇気がいったことだし、これで演者側の思考が理解できずに終わってしまったらどうしようと思ったが、恐らく今回観たパフォーマンスは観客から笑いが起きる場面もあり、まだカジュアルライクに感じたので、とてもいい公演に巡り会えたんだなと思っている。 その中で、特に気になったアーティストがStefano Ciardiという舞台音響を担当している方で、どうしても作中の音楽が頭から離れずに、執念で彼の名前を割り当て、実際にアポイントメントを取ってみた。 過去10年間、彼は演劇とコンテンポラリーダンスの世界で活動していおり、彼自身音楽活動もしていたそうなのですが、現在は舞台音響に力を入れているという。彼に「あなたの音源はどこにもなかったので、もしvinylやCDがあるのなら販売してほしい」と伝えると、「私的に音源はお渡しすることはできます。ただ、私が作っている音楽は芸術的要素は勿論、そこにドラマツルギーも関わっていないといけません。なので、音源だけで聴くことと、舞台でダンスとともに聴くということは捉え方が違ってきてしまう。他のプロジェクトとして、音源はいつか世間に公表したいとは思っているよ。」と返事が来た。 彼の考え方は非常に職人的で、さらに今度会って直接当日の舞台のことから音楽に対しての考え方など聞く機会を設けてくださるということで、ちょっとビビっていながらも、チャンスだし、また書き起こして記事にしたいなと思う。 最近海外の人と話す機会も増え、個人的にはまだまだ小学生よりも文法が汚いながらも、一生懸命に話すことだけはなんとか伝わっているみたいで安心した(笑)。ニューヨーク、スペイン、様々な方が話す英語に早く慣れていこう。

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  • Görlitzer Parkから見えるベルリンの変化

    Görlitzer Parkから見えるベルリンの変化

    ベルリンで毎年開催される「Labour Day」と呼ばれるメーデーには、クロイツベルクにある一帯で大々的なパレードが開催されるそうで、すでに時期は過ぎているが観光がてらGörlitzer Parkという公園へ連れてきていただいた。 ここでは毎年かなりたくさんの人が集まって、公園や広場には本格的なステージやDJブースが設置され、爆音で流れる音楽とともに踊り狂う群衆で埋め尽くされるそう。 ただ、このパレードも年々変わってきている。毎年規模は縮小され、警備もさらに強化され、昔より騒音問題に厳しくなった分、以前のような「クレイジーさ」は無くなってきているとのこと。 クロイツベルクの街並みを少し散歩しただけだが、至るところで建物の解体作業や建設が進められており、物価が上がってしまった影響で有名なクラブハウスやライブハウスが次々と閉店したり、移転している場面が多く見られる。昔からここで暮らし、音楽が好きでこの国を選び移った人たちは、「やばいことになっている」と口を揃えて言う。 以前と違って、パレードが商業化してきていることには間違いなさそうだ。 なんとなくこういう話を耳にすると、私たち移民のせいなのかなと、全く関係がないとは言い切れない部分もあり、複雑な気持ちになってしまった。 1つブロックを跨ぐと黒人がドラッグを売りさばく風景が日常的だけど、別にずば抜けて治安が悪いわけでもない。ここに来て数日しか経っていないが、恐らく今はイギリスやフランスの方がうんと治安が悪いように思える。 これからオリンピック開催による経済効果を大きく期待している日本の方が、もしかしたら「やばい」んじゃないかと話しながら、まだベルリンは平和なんだと思った。

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