ドイツ政府は本日4月20日以降から、ブティック等の一部専門店や、小・中規模の商店の営業再開を認めた。その中で、5月3日まで3人以上の集会などを禁止、大規模イベントや音楽フェスなどの開催は8月末まで禁止するという、ベルリンに住む人々にとって、以前の生活に戻るには未だなお遠い状況とも言えるだろう。

4月19日の街の様子は、ジョギングや日光浴で心身のリラックスをする人たちや、家族や親しい友人と散歩をする姿をよく見かけるようになり、3月下旬の頃の緊迫した雰囲気と比べ、街ゆく人の表情も緩やかで、私自身、ようやく春の訪れを感じられるようになった。

さて、前回のブログでは、3月22日(日)にライブストリーミング配信を行った際の映像を公開したが、今回は、初めて自主制作した25分にも及ぶモノクロ映像を更新・紹介したいと思う。

映像を制作するにあたって、私がまず一番始めに取り掛かった作業は「自分自身を許すこと」だった。私は、ものを作るということにずっと躊躇いがあった。その一つの理由として、自分が思い描くものを形にする過程で、頭の中で創造する理想と、今の自分が実際に表現することが出来るもののクオリティー(現実)のギャップに直面するのが怖く、心底避けていたからだ。己の今の力を知るということは、時に酷く、真実を突きつけられる。その事実をどう受け入れ、いかにその恐怖と向き合うかが一番過酷なのだ。アーティストとして活躍する人たちは、日々自分との戦いなんだと思うと、何度も言うが、本当に頭が上がらない。

私は、昔の塚本晋也や石井岳龍、デヴィッド・リンチようなコントラスト比の強い、いわゆるパニック映画やパンク・カルト映画が好きで、また、ラース・フォントリアーのように、今やセンシティブなテーマを扱う非道徳な映画や、アンドレイ・タルコフスキーのような哲学的な美しさを感じられる映画が好きだ。ラース・フォントリアー監督を除くこれらの監督作品の初期作品はモノクロ映画から始まり、モノクロの映像は、時代の概念を越え、黒のコントラストが幾重にもレイヤーとなって、見る人の心理を深層へと導くのだと、勝手ながら感じるのであった。文明が栄え、8Kの映像が世間で話題になった今でも、私はアナログで粒子の荒れた荒々しい映像に、今もなお高揚感を掻き立てられるのだ。

私の中で、現実の世界と夢の世界の境界線は非常に曖昧なものだった。そんな中で、私が実際に見たものをどうやって映像に残そうかと考えた時、それは色のある世界ではなく、モノクロの世界だった。映像の核心や解説はするつもりはないが、一言伝えられるのであれば、私自身の中でこの映像は全て”事実”に基づいて制作したということだ。

今回、映像にインプロヴィゼーション(即興)で音をつけてくださったのは、サウンドアーティストとして活躍するMAKOTO SAKAMOTOさん。私の荒い映像が、見違えるほどに格好良くなり、また、レアな環境で一緒に制作出来たことを嬉しく思います。そもそもは、Keisuke Sugawaraさんとの3人での共同制作で、彼が映像と音に合わせて、これもまた即興で演じているので、出来れば「MOLS live streaming vool.1」の当日の配信動画の様子も是非ご覧いただきたい。

本当に、ありがとうございました。

映像の音源に関しては、MOLS magazineのSoundCloudページにて公開されておりますので、こちらも是非チェックしてほしいです。

実はこのライブ配信を行うにあたって、PreSonus STUDO ONEというオーディオインターフェースを手に入れた。今現在は、過去に録り溜めしていたフィールド音源を遊びではありますがミキシングしている最中です。完成次第、そちらは別のアカウントで更新予定なので、また時期がきたらご報告させていただきたいです…。

 

 

2月から3月にかけての約一ヶ月、いや、体感速度ではもっと短い期間の中で、世界の状況は全く変わってしまいました。初め、ドイツ政府の新型コロナウイルスへの認知は、2月までは感染経路もはっきりしており、あくまでも「外から来たウイルス」のイメージが強かったのですが、3月に入り、連日報道されるニュースでは「もう、すぐそこまで近づいている」という焦燥感へと変わっていった気がします。

4月となった今もなお自粛期間は続いていますが、現在ドイツにけるコロナウイルスによる新規の感染者数は、最悪期の3分の1以下の2千人程度まで減ったようで、アパレルなどの専門店を対象に、少しずつ営業を再開するところも出てくるようです。

現在のベルリンの街を見渡すと、イタリアやフランスの外出禁止令に比べると緩やかで、人々は落ち着いて健康でいることを一番に考えているように見えます。

自主企画「MOLS」は、ベルリンに滞在するなかで初めてのチャレンジでした。

イベントを進行していく中、コロナウイルスによる世界的なパンデミックが発生し、私は幾度となくこのまま進むのか、それとも止めるのかの選択を迫られることになりました。開催日の1週間前、ドイツ政府から第一段階の自粛要請が発令され、街のレストランやカフェは営業時間を短縮しながら、国民たちに対して、徐々に社会的距離を取ることを勧めました。

政府による冷静かつ断固たる姿勢を目の当たりにした中で、「やらない」「延期する」という選択を選ぶことも出来ましたが、自分の中で逆に今ある環境で出来ることを試してみたいと思い、私は、無観客の状態でライブストリーミング配信をする方向で舵を切りました。

当時は共演したMAKOTOさん、Keisukeさんと連日コミュニケーションを取りながら、自分の中でどのようなアクションが一番良いのか、考えて、考えて、電車を乗り過ごす日々も少なくなく、今思えば、テンパっていたんだろうなと感じます。

当日の様子は今でも覚えています。

共演者の2人よりも早く到着した私は、街の静観とした風景に、未だ信じられない状態でした。ただドイツは、この危機的状況に対して永遠の権力を追求したり、他者に責任を転嫁することのなく、その逞しい姿勢に改めて気付かされることも多かったです。

撮影地として利用させていただいた「Club der polnischen Versager」では、一人で機材のリハーサルをしいていた時、スタッフUrszulaさんにとても親切にしていただきました。封鎖された街のなか、閉め切った店内で彼女と2人きり、時にプライベートなコミュニケーションを取っている時間が何よりの癒しでした。

当日は、共演いただいた2人や周りの方々のお陰もあり、沢山の方からコメントやメッセージを頂くことが出来ました。

結果として、MOLS Live Streaming Vol.1を実行したことは、私が今後動き出すために必要なアクションや計画性、自分の在り方を学ぶキッカケになったと思っています。また、こんな状況下でも、作品を生み出すということに対して日々向き合っているMAKOTOさん、Keisukeさんの姿勢を見て、心からアーティストとして生きる人を尊敬しました。

ということで、当日のライブストリーミングの様子を見やすく編集したものをアーカイヴとしてYouTubeに公開致しましたので、是非見てください!

現在はIGTVでも公開できるように只今準備中ですので、またシェアさせていただきます。

「note」でも公開しておりますので、そちらもチェックよろしくお願いいたします。

https://note.com/ari_matsuoka/n/n2608874b771e

 

その日、真っ暗と広がる空間の中で、ランタンの灯りだけがまるで空虚を照らす道標のように、 淋しくもあり美しく、ゆらゆらと幽玄な世界を映しだしていた。

9月にベルリンで出会ったKeisuke Sugawaraに誘っていただき、彼と今作のパートナーChristina Dyekjærの舞台「mellem to – en mand,der sidder navnløs,en kvinde med en Lanterne – 虚無の人。灯を持つ人。」の公演を観に行った。


“mellem to”は、彼の頭の中にある幻想や幻影、そして突然引き戻される現実世界が、作中断片的に盛り込まれているように感じる。時折、その幻想の間で、ふと自分の過去の記憶がフラッシュバックされる瞬間に息が浅くなり、魂が体から離れてしまうようなとてつもなく恐ろしい瞬間があったり、まるで”幽体離脱”をしているかのような体験だった。

記憶の中の景色や人々、自身の感覚や感情などに焦点を当てた彼の作品は、どこか、我々が潜在的に持っている生きることに対しての虚無感や焦燥感に一時的に訴えかけてくる作用がある。その比喩表現として、彼は「ランタン(陽)」と「椅子(陰)」を舞台のパフォーマンスとして使用しているのだろう。つまり、この作品は彼の自伝でもあり、虚無感に苛まれるということの根本を見つめ直す作業は、自身における生命(生きるということ)そのものを考える作業と同じなんじゃないか、と私は考えた。

一つ一つの所作に、漢字の書き方で例えるならば、「とめ」や「はね」がしっかりと振付の中に組み込まれており、雨の音が聞こえる中で、男(虚無の人)はびっしょりと水に濡れ、重く鉛のようになったガウンを羽織っているようだった。ただ、このずっしりと重みのある動作からは、その男の内にある生きることに対しての”問い”が垣間見え、その思い自体に困惑し、恐怖している姿にも見えた。

男の背後をまるで扇風機の先に取り付けたビニールのように舞う”意識(灯を持つ人)”は、規則性を持たず、無表情ではあったが基本的に明るくオープンで、物怖じもせず彼の周りを常に回っていた。序盤、男はその意識に嫌気を感じ離れようとするが、終盤に差し掛かるにつれ、「虚無の人。灯を持つ人。」という2つの魂はどちらも自分自身であると気付き、男は最終的にその意識を受け入れ、許し、共存する生き方を選択したようだった。

この”問い”こそが、彼の中に渦巻く「生に対しての虚無感や焦燥感」であり、人間誰しもが持っている過去の記憶やトラウマという重荷に対して、どう向き合い、共存していくべきかを考えさせられるような、非常に人間の深層心理へと潜り込んだ作品なのではないかと感じた。

ランタンの灯りとして例えられた”意識”は、男を導く道標となれば、不気味な火の玉のように彼の行手を塞いで邪魔をする時もある。それは簡単にいえば、古びた旅館の壁のシミが人間の顔のように見えなくもない…、そんな程度のものかもしれない。雨の日って憂鬱だよねという人もいれば、雨の囁く音に包まれている気がすると感じる人もいる。そうやって、人は全て「捉え方」によって生きることに対しての構えが変わってくるのだ。

見終わった後、正直、この男の物語がハッピーエンドで完結したとは思えなかったが、この男にとって、生への大きな気付きになった事には間違いないだろう。

 

21.09.2019

「mellem to – en mand,der sidder navnløs,en kvinde med en Lanterne – 虚無の人。灯を持つ人。」

director:Keisuke Sugawara

actor:Keisuke Sugawara,Christina Dyekjær

photo:Kei Tanaka

ベルリンで活躍する音楽家Makoto Sakamotoさんの新しいアルバム「Reflection」が8月にカセットテープ及び、AppleMusic、Spotify、SoundCloud等のサブスクリプションにてリリースされた。まだ実際のパフォーマンスを拝見したことがなく、ファーストインプレッションとなる。


先ず、最近カセットテープが再熱している件について少し話したい。

やっぱりデジタル音源もいいけれど、アナログ音源として実際に物質として残すことは、本来人間が好んでやってきた「記録する」という習性に習っているように感じる。個人的には、今後、CDは衰退する、もしくはMDのようにこの世から無くなってしまうものだと思っている。そもそもCDというものは、標準44.1KHz/16Bitのデジタル音源であって、それをわざわざPCにダウンロードして聴いているような人ももはや居ないに等しい。物質として手元に残すのであれば、私はVinylやカセットのような、少々聴くのに手間がかかるものを選ぶかな〜とか考える。

アナログのいいところは、試聴者側が音を鳴らすまでの「所作」にある。

カセットであれば、透明のビニールカバーをチーッと剥がして、今や持っている家庭も珍しいだろうカセットデッキに挿し、暫くのリール音の後に続く音に耳を澄まして聴く、この一連の所作に愛着が湧くのだ。

そもそも、カセットテープはチープな音がするという言葉に少し疑問を持つときもある。カセットテープは、レンジ(音の帯域)がデジタル音源に比べると狭く、中音域にエネルギーが集中しているので、音に広がりが感じられにくいという部分はある。デジタル音源に比べ、収録できる周波数に限りがある分、その中でどれだけ空間を集約させるかに、昔のアーティストや音楽家は一生懸命考えたんだと思う。

“音の良し悪し”は、単に数字で測れるものでもなく、肌や匂いなど、五感を使って感じられるものがあるということに気づくことが出来れば、もっと面白くなるのになと思う。


「Reflection」に収録されている楽曲について、実は本人より事前にこのアルバムのコンセプトについて話を伺っていた。ただ、完全に個人の意見になるが、特に印象的に残ったシーンをタイトルと一緒に、今回は解説ではなく、考察していきたい。

1.「I Hope You’re Feeling Better」

先ず「Reflection」の全体を聴いて初めに感じた印象は、宇宙空間のような壮大でスピリチュアルなものというより、どこかパーソナルで、郷愁のようなものだった。

「I Hope You’re Feeling Better」の冒頭、目を瞑ると見えてくるのは、ノスタルジックな色合いに染まった風景で、靄がかった草原や浅い川が見える。人の気配も感じられず、ただグレーでスモーキーな風景が広がっているだけ。

途中から、ふと、人の気配を感じるのは、一台の小さな白い車が、ただ真っ直ぐで平たい道を走ってゆくのが見えたから。それまで気配のしなかった様子から、もっと感覚を集中させると、徐々に辺りの濃淡は薄まり、遠くで1軒の小屋が見えたり、鳥が数羽、浅瀬で水を飲んでいたり、徐々に視界がひらけてゆく。

冒頭1曲目から13分というとても長い楽曲だが、1曲目にして、このアルバム全体のエピローグ(物語の結び目)を表しているようで、アルバム全体の重要なテーマを訴えかけてくるように聴こえる。曲の始まりと終わりで、少しの余白というか、敢えてホワイトノイズのような音が流れる。まるでVHSをビデオデッキに入れた後のほんの少しの”ポーズ(休止)”みたいだ。1枚の写真を見て、そこからある程度のストーリーが把握できるように、「I Hope You’re Feeling Better」は作品全体の回顧録なのだ。

そういえば、アナログレコードに関して、外周を使う1曲目の方が音質的には有利であり、音楽の情報量は時間あたりにトレースできる溝の長さに比例するので、外周の方が音質は良くなる。だからアナログレコードは1曲目が最も推したい曲である、という話を思い出した。

2.「Reflection」

続く、2曲目にアルバムのタイトルでもある「Reflection」。1曲目で早速、このアルバムの核の部分を見たような気になったので、ここからようやく物語のページをめくっていく感覚だった。

この曲では視点が変わって、部屋の中で眠っている最愛の人の息遣いや、体温を感じる。シーン全体を捉えるというよりかは、ズームした視点で、肌質や髪の柔らかさを間接的に触れているような感覚だった。シルクのカーテンの奥で反射して、眩しいけれど、その先に、愛おしさや尊さを感じ、相手を想う。シンプルなピアノのメロディーが穏やかで、その音が何層にも重なり、輪郭がぼやけてゆく様子が視覚化される。この曲を聴いていると、母親や父親から優しく撫でられながら眠りについた幼い頃の記憶が蘇る。きっと親にとって子は、光のように尊く繊細な存在であり、無償の愛を注げる形のある命なのだと語りかけてくるかのように。

3.「You Are Thinking About Yourself」

前2曲と比べ圧倒的に短く、時間の速度が違って見えた。まるでフラッシュバックしているかのような断片的な記憶が幾重となく繰り返され、そして、もう戻ることはない違うステージへ進んでいくようだ。

2分30秒という時間の中で、これまでの2曲は1シーン限りの断片的な物語に見えていたものが、3曲目で一気に形が交ざり、”浄化”されていき、そして現在・未来へつながっていくようなそんな気分になった。体感速度ではとても早く感じるが、恐らく、時間の経過は曲の時間に反比例し、とても長い年月を集約したものを表しているように思えた。

4.「Will Soon Calm Dawn」

ここまでで、自分の心拍数が少し荒々しく、やや乱れていることに気付く。

このアルバムを聴いて感じたことは、収録された全ての曲を最初から最後まで通して聴くと柔らかな曲として聴こえるが、一曲一曲はとても重く、静寂の奥にある違和感と緊張感にはっとする。安心と不安、私たちは常に両方を求めている。

音楽とは、私たちが想像するよりも、もっと形をなくすことも出来れば、あらゆる形にだってなれる。そんな道しるべを見つけたように感じて、この自分の異変にも納得がいくような気がした。

「Will Soon Calm Dawn」では、過去の記憶から覚め、冒頭1曲目で見た同じ風景が見える。広い草原や浅い川は以前よりも明るく澄んで見え、身に纏った洋服の裾が風にそよぐ。霧は遥か遠く、初めにいたあの頃からは随分と時間が経ったようで、もしかしたらほんの数分前のことだったのではないかと、やや寝ぼけた様子で考えているように見える。

5.「See You Again」

私はこのアルバムを通して、これまでの過去の音楽で培った感性は捨て、ありのまま、素直に感じるままに書いてみようと思った。この考えを持って「See You Again」を聴くと、1曲目と4曲目、2曲目と5曲目の印象が少し似ているように感じる。

1曲目に初め感じていたエピローグという表現も個人的には好きな考察だが、「I Hope You’re Feeling Better」が過去で「Will Soon Calm Dawn」が今ある風景、「Reflection」が幼い頃の記憶で「See You Again」が大人になった今の自分が見ている景色。前に見た世界はもうそこには無い、けれど、たしかに”存在はしていた”。目の前で容赦なく起こることや、それに触れた瞬間の驚きを、そのまま音で表現することはできるか。世界の豊かさと素っ気なさをどれだけ表すことができるのかと、つい哲学的に考えたくなってしまうが、もしかしたら私が思っている以上に軽く、ソフトな曲なのかもしれない。

6.Yoin

「余韻に浸る」「余韻を感じる」という言葉があるように、余韻とは、人が感動することによって生まれるものだ。映画のエンドロールを最後まで観るタイプの人であればより理解してくれるだろう。決して暗い音楽ではないはずなのに、どこか陰鬱な、そんな印象をほのかに残して去ってゆく。

このアルバムの終わり方はロシア映画によく似ている。カラーとセピア色の映像が交互に映し出されるシーンに規則性はない。私は、私の思う、完璧なロケーションで、敢えて爆音でブリコラージュしながら聴きたいと思った。

アルバムとは全ての曲を通して聴くものであり、最近の人たちは通しで聴かなくなってきたように感じる。プレイリストではなく、アルバムを通して聴いてほしいという、そんな思いを感じた。

sound – MAKOTO SAKAMOTO
SoundCloud – @makotosakamotorecordings
BandCamp – makotosakamotorecordings.bandcamp.com
YouTube – www.youtube.com/channel/UChpfxZCYCFZjHOussOjdTRg

RIDEの新アルバム「This Is Not A Safe Place」が8月16日にリリースされ、更に11月、日本に来日するらしい。先行リリースとして「Future Love」がYoutubeやApple Musicで公開されているので、早速聴いてみた。

RIDEといえばシューゲイザーバンドの代表格で、My bloody ValentineやSLOWDIVE、DIIV、Wild Nothingが好きなら絶対知らない人はいないだろう。シューゲイザーは激しくもあり儚くもあり、私はRIDEを聴くと、昔の甘酸っぱい思い出や記憶が蘇ってきて結構胸が苦しくなる。記憶の中の歪みや断片を色付き写真で思い起こすこともあり、それが楽しい記憶ではなく、なんとも切なくて、正直メンタルが弱い時には引きずり込まれそうになる時があるので、聴くことを避ける期間もある。

1980年代頃、イギリスから発祥した比較的新しいジャンルで、シューゲイザーをあまり知らない人は轟音や歪みに耳を塞ぎたくなる人もいるかもしれない。「ただギターを爆音で弾いているだけだろう」と感じる人もいると思う。「轟音」だけを切り取るとしたら、私はシューゲイザーバンドの作る音楽に情緒的な歌詞は必要がないと思っているタイプでもある。一切の説明もなく、耳が裂けるほどの轟音を一度でも浴びてみてほしい。ドラッグなんてなくたって、ゆらゆら別世界へ飛んでゆけるし、脳内のパレットが爆発してこれまで見たこともない芸術作品を自ら創造することだってできる(という感覚)。シューゲイザー初心者の方はぜひ野外フェスで開放的に、中級者〜上級者の方は、隔離されたライブハウスで耳を潰す寸前まで浴びるというか、浸かるのが気持ちよくなってくるもんなのだ。

実際、詩的な歌詞も多いのが事実で、なかなか直接理解するというよりはその背景にあるものを透かして見るという感覚だから、音楽を体で感じ、本能的に入り込むことができない人にとっては非常に難しいジャンルでもある。

RIDEの話に戻して、実は1995年に一度解散しているのだが、2014年に本格的な再結成を果たし今回6枚目となるアルバムとなる。おじさんバンドの良くある「一旦解散」「一旦再結成」って、凄く夢あると思いません?そして、変わらずパワーのあるリッケンバッカーを大音量で掻き鳴らす感じ、もの凄く鳥肌ものです。

新アルバムに収録されている「Future Love」も、自分が大人になったからなのか、ようやくRIDEが持っている「苦味」「酸味」がわかったような気がして、本当に久しぶりに周りの視線も気にせずボリュームを上げた。清い部分だけでなく、様々な経験をしてきたからこそ、体にしっとりと染み込んでいく。第二の青春を今生きていると、私はそれだけ経験を積んだ大人なのだと、勝手ながら嬉しくもなった。

開始10秒で私と同じような感覚になった人、ぜひ一緒にお酒を飲んで夜明けまで語り合いたい。

兼ねてより楽しみにしていた映画「サスペリア」を観た。本作は1977年に公開された「サスペリア」のリメイク版として2019年に公開されたものだが、結論から言ってしまえば、リメイク版とは謳っているが全く別物の映画だった。

オリジナル版では舞台はあるバレエ団に主人公のスージーが入団するのだが、リメイク版では舞踊団に入団する。バレエは空手でいう「形」のように振付が決まっているものに対して、オリジナル版では「コンテンポラリーダンス」を採用していて、視覚でも全く異なるのだ。

今ではコンテンポラリーダンスは現代の日本に馴染んでいるが、はじまりはヨーロッパだった。映画の舞台はナチス時代のドイツ・ベルリン。またベルリンの壁が厚かった頃。本作では、オリジナル版にはなかった 3つの視点から物事が同時進行で動いていくのだが、なかなか一度見ただけでは難解で頭で処理できない。後々、調べてやっと理解できた内容もある(当時のドイツ情勢など)ので、日本人にはかなり難しい内容なのかもしれない。

個人的に注目したのは、トムヨークの映画音響や挿入曲である。

今回初めて映画音響を担当したということで、先行でトムヨークよりアルバム「Suspiria」が発売された。ジャケットビジュアルからは全くホラー要素が感じられないデザインで、ネオンピンクに鮮やかなブルーの配色に目がいく。日本では先行でアルバムが発売されたので、映画の情報の前よりもアルバムジャケットに注目が集まったようにも思う。(「サスペリア」のリメイク版ということである程度の想像や構想はできていたとしても)恐怖や緊迫感のような印象は受けにくく、正直一部のトムヨークファンがコレクトするために買う目的の方が多買ったんじゃないかなと思った。勿論私も、一ファンとして手に入れたが、メディアで頻繁に広告として流れていた1曲「suspiria」以外、映画が公開されない限りはただの「サントラ」に過ぎなかった。

ただ、物語を見進める前にサントラを聴きこんでいてよかったと思えたほど、より描写が美しく、想像力を掻き立てるものになったと思う。

ダンサーたちが一心不乱に踊る中、苦痛の叫びが響き渡る。「女性であることの恐怖」を「魔女」として喩えているのは当時の情勢にも深く関わってくる事で、1970年代に東西へ分断されたベルリンの世界を見ている。

私が個人的に好きだった曲は「Unmade」だ。美しいピアノの旋律に乗せて、トム・ヨークのささやくような繊細な歌い声が響き渡る一曲となっている。この曲が物語の終盤で流れるのだが、この瞬間の場内は本当に今でも鮮明に覚えていて、隣に座っている女性は泣いている、目の前に座っている女性は両手を合わせて拝んでいる、私はというと、あまりにも状況がすごすぎて、冗談抜きで開いた口が塞がらなかった。

“Unmade”とは”未完成”という意味であり、歌詞の中で何度も「なにかに」誓いを唱えている。この映画の最後の展開は「返還される」「還る」意味が強い。最後は母への忠誠を誓う最後の儀式へと進み、クライマックスにはオカルト映画らしく、謎に包まれて終わった。

今回、ホラー映画の音楽を製作する上で、トムヨークはRADIOHEADのギタリスト、ジョニー・グリーンウッドに嫉妬していたという。今回のサウンドトラックも、トムヨークらしいメロディックでコンテンポラリーな狂気に満ちたアルバムだった。


Dirty Paws/of monsters and men

映画「LIFE!」を観た後の体のもぞもぞ感は今でも覚えている。人はそんな小さな気付きから大きく変身を遂げるのだろう。

2016年、単身バックパック1つ背負ってアイスランドへ飛んだ。友人や家族からも心配され、現地のツアーや現地語を駆使しながら、日本の旅行会社には頼らず全ての段取りを一人で行った。当時、アイスランドについての情報は少なかったが、私はただ実現に向けてもう本当に無我夢中だった。誰かに呼び寄せられているかのような感覚は、作中で写真家でもあり冒険家のショーンが写真の中から主人公ウォルターを手招きしているシーンと被るものを感じた。

その作中で使われた楽曲「Dirty Paws」を歌うof monsters and menは、本国アイスランドではSigurrósやBjorkよりも人気が高い。彼らの音楽からもアイスランドの色彩豊かな美しい景色が浮かび上がる。アコギのアルペジオから始まり、次第にジャムの様に重なり合ってできた音楽は、まるでその場で作り上げられたかのように、いつ聴いても色鮮やかに感じる。イントロ部分の「Hey!」という掛け声とともに勢いよく走り出すウォルターを見て、多くの人が何かやらなきゃと心を震わされたに違いない。

作中同様、今までの私はウォルターのような「空想」に生き、現実世界では一歩が踏み出せない臆病者だった。今も根本は変わらないが、以前よりは人からの評価に左右されることが少なくなった。それもきっと、アイスランドでの「冒険」があったからこそだと思う。

人は冒険するべきだ。

To see the world,

Things dangerous to come to,

To see behind walls,

To draw closer,

To find each other and to feel.

That is the purpose of life.