プカプカ

先日、ベルリンに住んでいて初めて湖に行った。 その日は6月だったけど気温は31度と夏日のようで、人生で初めてタンクトップ一枚で外へ出掛けた。逞しい二の腕をしているので、これまでキャミソールやタンクトップで周りの目を気にせず外出出来る人が羨ましかった。でも、この一年でいい意味で無駄な羞恥心も消え、他人の目を以前より気にしなくなってから、よし今だと腕を出して外に出た。たったこれだけのことなのに、私にとっては結構なチャレンジだった。海外に出てくる勇気があるのに、タンクトップを着て外を出歩けなかったなんて、ヘボくてなかなか言えなかったんですよね 。 電車を乗り継ぎ、湖の辺りまで徒歩も合わせて約2時間。Liepnitzseeという森の中の湖へ。 ベルリンの都心部にも遊泳できる湖は多いみたいだけど、その日は夏日。皆、きっと考えていることは一緒に違いない。小旅行気分で、1時間も電車に揺られていれば沢山の自然公園と出会える。そんなベルリンも、ようやく滞在1年目で知ることが出来たので単純に嬉しかった。 砂場に到着するなり、早速服を脱いで水着姿になる。水着で日光浴なんて、何年ぶりだろう。粒が細かい砂が指の間をさらさらと抜けて、10歩先の湖では水飛沫がキラキラと反射していてとても涼しそうで。 夕方5時頃、しばらく日光浴を楽しんだあと、水温が低くならないうちに泳いでみようよと湖に向かった。水は冷たかったけどめちゃくちゃ気持ち良くて、でもあっという間に足の届かない場所まで来てしまって、ビビリな私は岸の方でプカプカと浮かんでた。背中を水面につけて、空を見ながらただ漂うだけだったけど、自粛期間も少し明けたところ、いいリフレッシュが出来た。 多分20分くらいはプカプカ浮いていたと思う。体が冷えたところで再び砂浜に戻って、ただ横になってぼんやりする。紛れもなくバケーション、小学生の夏休みのようなひと時だった。 特にオチがないただの日記だけど、こんな感じで何も考えずに日帰り旅をしたことが嬉くて。 夏の時期にベルリンに来ることがあるなら、是非湖にピクニックもプランに入れて欲しい。日本の家族が来た時には、是非連れて行ってあげたいと思った。

”ぶつかり合う”と”こだわり合う”

人生で、どれほど本気の人間と出会ってきただろう。というか、本気でぶつかり合いたいと思える人間と出会えることが、人生で一体何回あるだろう。 過去、私に対して本気でぶつかってきてくれた人は数少ない。これまで自分のことを大事に出来ず、今思うと、その人達は私以上に私のことを想い、どこへ飛んでいくかわからない風船みたいで心配で堪らなかったんだと気付く。血の繋がりのない赤の他人に対してここまで本気でぶつかってきてくれる人は、限られた時間の中でそうそう出会えるものではない。 ぶつかり合うとは、結局は相手をどれほど信じているかということ。 ”ぶつける”と”ぶつかり合う”という意味が混在しているうちは、なかなか人とのコミュニケーションも難しく考えてしまいがちだ。感情に任せ、ただただ破壊的にぶつかることは簡単でも、それでは相手との関係を築くことは出来ない。その場ですぐに結果が出ない場合が分かっていても、流動的にものごとをポジティブに捉えることが出来、相手とのこれからを見ていきたいと願うのであれば、建設的にぶつかることが出来るだろう。 これらは、私にとって一番避けてきたことであり、人とぶつかり合うなんて怖くて出来ないと思ってしまう性格だ。 では、言葉を変えて”こだわり合う”だとどうだろう。 ぶつかり合うよりは、こだわり合うと捉えた方が随分と気が楽になった。関係を一度も壊さずに大切にできれば一番いい事なんだけど、一度壊れたものを修繕したり、強化したりするほうが、愛着を持てたり、長く愛したいと思える気がする。相手の気持ちを尊重すると同時に、自分の気持ちを尊重できることが大切で、私はもっと保身に走らず、在りたい生き方に近づけるようになりたい。 相手に対してエネルギーを注ぐことはとてもパワーのいることで、本当は面倒だし疲れること。だいたい恐れているものは、自分の思い込みだったということが多い。ただ一方通行で相手だけがエネルギーを消耗してしまうような力関係にならないように、私はもっと自立しないといけないね。相手と本気でぶつかることが出来たなら、きっとそれは自分にとっての自信に繋がるはず。

心と思考

テーブルの前にノートとペンを広げて、窓越しに揺れる緑を見ながら文を書く時間が好きだ。今朝は外が曇っていて暗かった。まるで寒い冬に逆戻りしたみたいで、ロウソクの火も心なしかいつもより赤く見えた。 職業柄なかなか難しい部分もあるけど、最近iPhoneやPC等のデジタル機器から少しだけ距離を取る生活にしたところ、すこぶる調子が良くなった。まるで美術館のロッカーに荷物を全て預けるように。こうすることで初めて自分の為の自由な時間を手に入れる事が出来るので、本来自分が持っている想像力や表現を信じてあげるために時には必要なことでもあるように思う。 「今、私は何を感じているのか」。1秒1秒、溶けて色薄らいでいく感情を忘れないように、ことばを綴る。人は、一番向き合いたくないと思うことに自分の使命が詰まっている。また同じような痛みを経験してしまわないよう、感情ひとつひとつに目を向ける。意識のひとつひとつに目を向ける。 私は、私と離れる為ではなく、もっと、もっと近づきたい。そうすれば、きっと大切な人との心の距離ももっと近くなると信じている。 自然の声を聞いてみよう。静かなまま、木葉が揺れて、水が流れることはない。感情も同じ。心の声を聞いてみよう。

Raum – 余白と”余韻”に人は何を想うのか – 第二弾:後編(インタビュー後日談/考察)

5月29日金曜日、ベルリン在住アーティストの菅原圭輔による11分間のアート映像作品「Raum」のオンライン上映会が行われ、本日、彼のウェブサイトより一般公開された。 【外部リンク】Keisuke Sugawara Web 【外部リンク】Keisuke Sugawara Webpage 前回、第一弾として「Raum」について幾つかテーマを抜粋したプロローグを執筆させてもらった。 【外部リンク】Raum – 余白と”余韻”に人は何を想うのか – 第一弾:前編(プロローグ) 今回第二弾ということで、本作上映後、特典映像として携わった時のアフタートーク全文と、本編についてのレビュー&考察について話していきたい。 まずは、菅原圭輔とのアフタートークの様子を紹介。 Raum in Conversation Keisuke Sugawara × MOLS ー まず、「Raum」という名前の由来とは? Keisuke : 「Raum」はドイツ語で「部屋(room)」という意味で、閉ざされた空間やスペースを人の心の中とイメージして制作したんだけど、なんかその限られた空間の中にいる一人の人物にフォーカスをあてたくて。だからこの題材でフィルムを制作しようとした時に、自然とこの名前が浮かんだんだよね。英語でも日本語でもなく、ドイツ語の響きや表現がぴったりだと思ったからかな。 ー Keisukeが作品を作るうえで、どのような場面からインスピレーションを受け、それをどのようにして作品に落とし込む? Keisuke : 割と自分の体験に基づいて印象に残っている風景や経験が沢山自分の中に残っていて、一つの作品を作るときに、その引き出しの中から摘んでイマジネーションを膨らましていったり、その物事から派生する物語と結びつけたりするかな。 例えば今回の作品でいうと、真っ白な部屋という風景と、一人の女性が椅子に座っている風景を頭の中でイメージを結びつけたりして、時にその情景に近い記憶をコラージュしながら作り上げていったな。ぼんやりある風景に対して、なんかこの小説の雰囲気が僕が見たあの風景と似てるとか、この音楽が頭の中にあるイメージにぴったりとはまるとか。元は多分その輪郭がぼやけたイメージや感情とかからインスピレーションを膨らましているね。 ー 本作のキャスティングについて、神嶋 里花さんを主演として迎えた理由は?また、普段作品を作るうえで人選に拘りはある? 今回に関してで言えば、作品の登場人物に対して既に自分の中でイメージがあって、表情や話し方、彼女自身が持つオーラが作風とマッチした、ということが一番の決めてだったよ。彼女からは、少しあどけなさも感じられつつ大人の女性のような魅力も感じられて、理想通りの女優さんが見つかったと思った。 なんか、僕は人の”目”が凄い好きで、ちょっ話が逸れると、ベルリン・アレキサンダープラッツ駅付近にある「ALEXA」に、眼球の写真を撮ってくれる場所があるのは知ってる? ー そんなサービスがあるの?! それは個人的にも知りたい... そうそう、本当に眼球だけを撮影するんだよ。しかもA1サイズくらいに引き伸ばして印刷してくれるらしい。それが凄く気になっててね。自分の目の写真が部屋に飾られているのは少し気持ち悪いなと思うけど(笑)。 人の目には沢山の情報があると思っていて人種によっても眼の色は様々。黒や茶色、それから青や緑。ここベルリンに住んでいると、様々な人種の人たちが暮らしているから、特徴のある目を見るとスーッと引き込まれるというか。今作の撮影の中で特に面白かったのは、主演の里花さんに目を閉じてもらって、開く瞬間に黒眼の部分が一瞬ピントを合わせる為に開くんだけど、その瞬間って肉眼ではなかなか確認できないし、カメラ越しでハッキリと見えた時は凄く引き込まれたな。 ー 映像作品を作るなかで「音楽」は密接な関係にあると思うけど、今回楽曲として選んだMakoto Sakamotoさんの「Yoin」を選んだ理由は? 2019年8月にMakoto Sakamotoさんの「Reflection」というアルバムがリリースされたという連絡があって、聴いてみたのがキッカケだったかな。全体を通して自分の好きなアンビエントでどこかドロッとした印象を感じて、アルバムを通して大好きで。その時から「Yoin」というタイトルが頭に残っていて、ピアノの音が反復されていく様や、序盤は静かに始まって、空間に溶け込んでいって、7分間の楽曲だけどその後もずーっとその場の空間を支配するというか。展開の少ないメロディーだけど、今作と凄くマッチするなと思えるような、運命的な出会いだったんだよね。 この作品には「ゆっくり、だけど確実にー」という一つのテーマがあって、作品説明にも載せてるんだけど、視覚的には淡々としなながらも、得体の知れない何かに動かされるような不穏さや違和感のようなものを感じたり、その”不穏さ”がこの楽曲と重なる部分を感じたかな。個人的には映像とあてはめた時にどちらも潰しあっていなくて、映像が楽曲のイメージを壊すことも無ければ、その逆も無く、絶妙なバランスでリンク出来たかなとは、編集を終えて通しで見た時にそう思ったな。あとは、単純にこの曲が好きだからかな(笑)。 ー 最後に、今後も映像作品を作っていきたい? 映像は今後も撮っていきたいなと思ってる。やっぱり舞台って空間が決まっているし、シーンを切り替えたくても「暗転」って言って照明を暗くして展開をもたせるくらいしか方法がないんだけど、映像って急に違う場面に飛んだり、時空を自由に操れるから面白いなと思うかな。 今後映像作品を作っていくという工程は、今まで自分がやってきた活動と離れていないなと感じるから続けていきたいなと思うし、あまりフィルムという部分だけに拘らず、映像作品は撮りたいな。もっと日常に寄り添った作品や、台本があって、今作よりも長いストーリーも撮っていきたい。その前に、ベルリンの街並みや風景を記録していきたいな。そういうミニアルなものは定期的にシリーズ化していって、「Raum」のようなストーリーのある作品も今後はチャレンジしていきたいと思っているよ。 ここからは、筆者による「Raum」のレビューと個人的な考察を話していきたい。 まず、全編を通して非常にシンプルでありながら、なぜ真っ白な部屋に一人女性が椅子に腰をかけているのか、一体誰に話しかけているのか、全貌が全く掴めないまま物語は進んでいく。 冒頭、彼女が話す会話の中で分かったことは、季節である。 [...]

Raum – 余白と”余韻”に人は何を想うのか – 第一弾:前編(プロローグ)

4月、ベルリンで活動するアーティスト・菅原圭輔が初の演出・監督を勤めたショートフィルム「Raum」がようやく完成したと、本人から連絡があった。 1月、コンテンポラリーダンスを中心としたジャパンツアーを控えていた彼が、もう一つの大きなプロジェクトとして新たにショートフィルムを制作するという話は、2019年の時点から聞いていた。 Christina Dyekjærと一緒に主催する ”mellem to” プロジェクトで彼と出会って以降、彼の作品からは「生きるということ」そのものを問い、何度も反復して投げかけてくるほど強烈なメッセージを感じていた。何故なら彼自身、その意味の原型について深く知り尽くしていて、また、多くの人がその問いについてあまりに悲観的すぎることも知っているのであろう。 公開まであと三日、今回は二部構成にわたって、彼が手掛けた「Raum」について紹介・レビューしていきたい。第一弾は、「白い部屋」と主人公の「心理」にまつわるプロローグについて。 「Raum」という名前はドイツ語で「部屋」を意味し、作中に出てくる真っ白な部屋に、女性が一人椅子に腰掛けているシーンから始まる。彼女の身に纏うワンピースのセンスと対比して、瞳はどこかあどけなく、ちょうど少女と大人の間(はざま)にいるように感じた。 シンプルで飾り気のない退屈な部屋に腰掛ける彼女の表情はどこか不自然で、会話の中に出てくる街中の風景や人々に対してどこか冷めた印象だった。 作中、彼女は、淡々と目の前にいる”誰か”に最近あった出来事を話す。内容は至ってなんでもない日常のようにも感じるが、真っ白な部屋が、まるで彼女の世界から色というものを消し去ってしまったかのように見えた。 もし、世界から色が消えてしまったら。色の持つ感情への作用は強い。 朝、目が覚めた時に見る日差しが外で見るよりもずっと柔らかい琥珀色だということや、長い冬を終えたあとの新緑が、想像していたよりもうんとみずみずしい萌木色であることを教えてくれる。色というのは、ただ単に物質の特長を捉えるだけでなく、温度や触感までもイマジネーションさせる。 色を無くしてしまった時、私たちはただ、背後からゆっくりと忍び寄るなにかに怯え、昨日と今日を往来するだけの日々を過ごしてしまうのかもしれない。そう、彼女が話す風景の中には色彩が感じられなかった。 彼の舞台作品「mellem to」に同じく、今回の作品の登場人物に共通している心理課題はリフレクションにある。 リフレクションとは、簡単に言えば、ある経験をピックアップし客観的に経験を振り返ることを意味している。例えば、過去の失敗を振り返るときに、自分を責めたり他人のせいにしたりしていると、適切な学びを得ることができないように、冷静に客観性を持って振り返ってこそ、成長につなげることができる。リフレクションにおいて最も大切なことは、過去からの教訓を得て、次なる実践に活かすことだ。 ただ、作中の彼女にはそれがまだ明確に見えていないように思える。命(生)が有限であるという事実を知っていながらも、決して自身の思惑になぞらない出来事に、私たちは時として困惑し、無意識に思考と言動に矛盾した行動を取ることがあるのだ。 中盤に差し掛かり、だんだんと彼女の言動に違和感を感じ始めたとき、彼女が”あなた”と呼ぶ、花瓶を持った男性が登場する。彼女の思考と言動のちぐはぐが繊細で緊迫した空気を作り出し、事態はゆっくりと、でも着実に忍び寄ってくるー 今作で最も印象に残ったシーンは、クローズアップされた女性の瞳だった。 コンテンポラリーダンスを中心に劇場をメーンとしていた彼にとって、これまでは舞台全体の構図を熟知し、演者の躍動と観客のリアクションでその場のグルーヴ感を創り上げることが重要になっていたものが、今回は決められた画角の中でどのようにして躍動を伝えればいいのかを考えるのが楽しかったと言う。 主人公の言動とは裏腹に、うつろぐ眼や落ち着きのない手元をカットに取り入れることによって、彼女の奥深い過去と観客の深層心理を抉る不穏な空気感がそこには生まれていた。 また、今作で重要なエッセンスとなった音楽について、サウンドアーティスト・坂本真の楽曲「Yoin」が、作品と絶妙にリンクしていた。ショートフィルムの楽曲の多くは、風景の変化や物語の進行に合わせて曲調が変化することで躍動を与えるが、この楽曲は、目の前で起こる容赦ない出来事を抑揚ではなく僅かに針が振れる程度で変化をもたらしている。映像と音楽は、非常に重要で密接な関係にあるということを改めて認識させられた瞬間だった。「Yoin」が収録されている彼のアルバム「Reflection」については、以前考察レビューをアップしているので、そちらも是非チェックしてほしい。 【外部リンク】MAKOTO SAKAMOTO - Reflection 考察 【外部リンク】Keisuke Sugawara Website(画像をクリック) 「余白と”余韻”に人は何を想うのか。」このメッセージは、彼が創り出す全ての作品において、永遠のテーマでもあるように思う。 全編については、2日後の5月29日(金)に公開される彼のホームページから是非チェックしてほしい。 第二弾は「Raum」公開後に更新予定!! 菅原圭輔が初の演出・監督を勤めた本作は、キャストに神嶋里花、音楽に Makoto Sakamotoをむかえ、ある女性のモノローグ、その目線の先に見ているものに焦点を当てた11分間の短編アート作品である。 余白と”余韻”に人は何を想うのか。 *本ストリーミングは本編と特典映像を合わせた限定公開。 ------------------------------------------ タイトル:Raumキャスト:Rika Kashima http://www.anore.co.jp/rika_kashima/ Keisuke Sugawara https://www.keisuke-sugawara.com/ スタッフ:演出・監督 - Keisuke Sugawara助監督・編集 - Miho Yajima撮影 - 平野 [...]

コロナの代償

コロナウイルスによる自粛期間の間に右耳のピアスの穴が完全に閉じてしまったので、通販でニードルを購入。すっかり身綺麗にすることを怠ってしまった代償だ。また、4月に控えていたビザ更新に関しても未だ外人局からの連絡を待っている状態のため、なんだか気持ちは宙ぶらりん、といった感じ。 歩みが遅いながらも、この期間中でYouTubeチャンネル、ラジオ番組の開設、またMOLS.incとして紙媒体のみでなく、ウェブにも力を入れようとドメイン開設をしたり、なんとか形になったようにも感じる。また、東京でライブストリーミングを定期的に開催している映像関係の友人と、同時刻でライブ配信が出来るコンテンツを計画中。また、個人的に映像制作の依頼も頂いたり、文筆ではなく、最近は裏方の仕事が多くなってきている。改めて、文章は毎日書き続けないと力がついてこないと実感したので、また、自分でアーティストにアポイントメントを取っていかなければなと思う。 最近はDark Jazzがお気に入り。たまに自分が制作した映像と合わせて聴くのが楽しい。 https://open.spotify.com/playlist/5oFEOnBu2JIAXJfnM3hwlh?si=lcxV6WnETF2u8y7XjO8CvA

between dream and reality

ドイツ政府は本日4月20日以降から、ブティック等の一部専門店や、小・中規模の商店の営業再開を認めた。その中で、5月3日まで3人以上の集会などを禁止、大規模イベントや音楽フェスなどの開催は8月末まで禁止するという、ベルリンに住む人々にとって、以前の生活に戻るには未だなお遠い状況とも言えるだろう。 4月19日の街の様子は、ジョギングや日光浴で心身のリラックスをする人たちや、家族や親しい友人と散歩をする姿をよく見かけるようになり、3月下旬の頃の緊迫した雰囲気と比べ、街ゆく人の表情も緩やかで、私自身、ようやく春の訪れを感じられるようになった。 さて、前回のブログでは、3月22日(日)にライブストリーミング配信を行った際の映像を公開したが、今回は、初めて自主制作した25分にも及ぶモノクロ映像を更新・紹介したいと思う。 https://www.youtube.com/watch?v=bjauDTkw9JE&t=1186s 映像を制作するにあたって、私がまず一番始めに取り掛かった作業は「自分自身を許すこと」だった。私は、ものを作るということにずっと躊躇いがあった。その一つの理由として、自分が思い描くものを形にする過程で、頭の中で創造する理想と、今の自分が実際に表現することが出来るもののクオリティー(現実)のギャップに直面するのが怖く、心底避けていたからだ。己の今の力を知るということは、時に酷く、真実を突きつけられる。その事実をどう受け入れ、いかにその恐怖と向き合うかが一番過酷なのだ。アーティストとして活躍する人たちは、日々自分との戦いなんだと思うと、何度も言うが、本当に頭が上がらない。 私は、昔の塚本晋也や石井岳龍、デヴィッド・リンチようなコントラスト比の強い、いわゆるパニック映画やパンク・カルト映画が好きで、また、ラース・フォントリアーのように、今やセンシティブなテーマを扱う非道徳な映画や、アンドレイ・タルコフスキーのような哲学的な美しさを感じられる映画が好きだ。ラース・フォントリアー監督を除くこれらの監督作品の初期作品はモノクロ映画から始まり、モノクロの映像は、時代の概念を越え、黒のコントラストが幾重にもレイヤーとなって、見る人の心理を深層へと導くのだと、勝手ながら感じるのであった。文明が栄え、8Kの映像が世間で話題になった今でも、私はアナログで粒子の荒れた荒々しい映像に、今もなお高揚感を掻き立てられるのだ。 私の中で、現実の世界と夢の世界の境界線は非常に曖昧なものだった。そんな中で、私が実際に見たものをどうやって映像に残そうかと考えた時、それは色のある世界ではなく、モノクロの世界だった。映像の核心や解説はするつもりはないが、一言伝えられるのであれば、私自身の中でこの映像は全て"事実"に基づいて制作したということだ。 今回、映像にインプロヴィゼーション(即興)で音をつけてくださったのは、サウンドアーティストとして活躍するMAKOTO SAKAMOTOさん。私の荒い映像が、見違えるほどに格好良くなり、また、レアな環境で一緒に制作出来たことを嬉しく思います。そもそもは、Keisuke Sugawaraさんとの3人での共同制作で、彼が映像と音に合わせて、これもまた即興で演じているので、出来れば「MOLS live streaming vool.1」の当日の配信動画の様子も是非ご覧いただきたい。 本当に、ありがとうございました。 https://www.youtube.com/watch?v=m04y9nfIS70 映像の音源に関しては、MOLS magazineのSoundCloudページにて公開されておりますので、こちらも是非チェックしてほしいです。 https://soundcloud.com/user-717478211-246609636/mols-live-streaming-vol1-sound-makotosakamoto 実はこのライブ配信を行うにあたって、PreSonus STUDO ONEというオーディオインターフェースを手に入れた。今現在は、過去に録り溜めしていたフィールド音源を遊びではありますがミキシングしている最中です。完成次第、そちらは別のアカウントで更新予定なので、また時期がきたらご報告させていただきたいです...。  

MOLS Live Streaming Vol.1 公演を終えて

  2月から3月にかけての約一ヶ月、いや、体感速度ではもっと短い期間の中で、世界の状況は全く変わってしまいました。初め、ドイツ政府の新型コロナウイルスへの認知は、2月までは感染経路もはっきりしており、あくまでも「外から来たウイルス」のイメージが強かったのですが、3月に入り、連日報道されるニュースでは「もう、すぐそこまで近づいている」という焦燥感へと変わっていった気がします。 4月となった今もなお自粛期間は続いていますが、現在ドイツにけるコロナウイルスによる新規の感染者数は、最悪期の3分の1以下の2千人程度まで減ったようで、アパレルなどの専門店を対象に、少しずつ営業を再開するところも出てくるようです。 現在のベルリンの街を見渡すと、イタリアやフランスの外出禁止令に比べると緩やかで、人々は落ち着いて健康でいることを一番に考えているように見えます。 自主企画「MOLS」は、ベルリンに滞在するなかで初めてのチャレンジでした。 イベントを進行していく中、コロナウイルスによる世界的なパンデミックが発生し、私は幾度となくこのまま進むのか、それとも止めるのかの選択を迫られることになりました。開催日の1週間前、ドイツ政府から第一段階の自粛要請が発令され、街のレストランやカフェは営業時間を短縮しながら、国民たちに対して、徐々に社会的距離を取ることを勧めました。 政府による冷静かつ断固たる姿勢を目の当たりにした中で、「やらない」「延期する」という選択を選ぶことも出来ましたが、自分の中で逆に今ある環境で出来ることを試してみたいと思い、私は、無観客の状態でライブストリーミング配信をする方向で舵を切りました。 当時は共演したMAKOTOさん、Keisukeさんと連日コミュニケーションを取りながら、自分の中でどのようなアクションが一番良いのか、考えて、考えて、電車を乗り過ごす日々も少なくなく、今思えば、テンパっていたんだろうなと感じます。 当日の様子は今でも覚えています。 共演者の2人よりも早く到着した私は、街の静観とした風景に、未だ信じられない状態でした。ただドイツは、この危機的状況に対して永遠の権力を追求したり、他者に責任を転嫁することのなく、その逞しい姿勢に改めて気付かされることも多かったです。 撮影地として利用させていただいた「Club der polnischen Versager」では、一人で機材のリハーサルをしいていた時、スタッフUrszulaさんにとても親切にしていただきました。封鎖された街のなか、閉め切った店内で彼女と2人きり、時にプライベートなコミュニケーションを取っている時間が何よりの癒しでした。 当日は、共演いただいた2人や周りの方々のお陰もあり、沢山の方からコメントやメッセージを頂くことが出来ました。 結果として、MOLS Live Streaming Vol.1を実行したことは、私が今後動き出すために必要なアクションや計画性、自分の在り方を学ぶキッカケになったと思っています。また、こんな状況下でも、作品を生み出すということに対して日々向き合っているMAKOTOさん、Keisukeさんの姿勢を見て、心からアーティストとして生きる人を尊敬しました。 ということで、当日のライブストリーミングの様子を見やすく編集したものをアーカイヴとしてYouTubeに公開致しましたので、是非見てください! https://youtu.be/m04y9nfIS70 現在はIGTVでも公開できるように只今準備中ですので、またシェアさせていただきます。 「note」でも公開しておりますので、そちらもチェックよろしくお願いいたします。 https://note.com/ari_matsuoka/n/n2608874b771e  

髪を縛る

髪を縛る時は気合を入れる時。短い髪をまとめて、少し痛いと感じるくらいまで縛る。昔からそうだった、私の中の気合を入れる時のルーチン。髪が短くても、縛る。試合前の精神統一や覚悟に似た感覚。来るべく時にタイミングはやってくるし、辛い時だからこそ、信念を持って、その壁の先にある道に進むための秘めた力強さを持っている自分を信じたい。女らしさとか男らしさとか、そんなことよりも自分らしさを追い求めていたい。困難な時こそ、まっすぐ正直で、全力で生きたい。自分の優しい部分、純粋な部分、全部守って、活かしてあげたい。 そろそろプロフィール画像も古くなってきたな。

感情のリフレクション

最近始めたことがあるんです。題して「感情のリフレクション」というんですけど、自分自身と向き合うために、一日一回30分、自分の感情や気持ちと向き合う時間を作りました。 というのも、私は今まで自分の感情を押し殺して生きてきました。自分では自覚が無く、この歳まで自分自身の感情に蓋をしたまま、開け方が分からなくなった古瓶のように、自分の気持ちが一体どこに向いているのか、対人に対して誠実に、本音で話すということがどういうことなのかさえ分からないまま、凄く悩んでいました。 幾つか例を挙げて言えば、素直に思っている感情を表現できない。本音を言いたいのに、相手を目の前にして、声が出なくなってしまったり、吃ってしまう。ディスカッションをしていて、本音でぶつかりあわないといけない場面で萎縮してしまい、相手の顔色や動向を伺うあまり人と深く関わることが出来ない、といった悩みが今もあります。 何人かから「そういうところも長所なんじゃない?」と言われることもありましたが、なんだか附に落ちず。ああ、私は変わりたいんだな、正直に自分と向き合いたいんだなと思い、このリハビリを始めました。 方法は以下の通りです。 1. What do I feel? What’s on my mind? 自分が今何を感じているか、どのような感情が心の中にあるのか、感じて書き出す。 2. What affected me the most? どのような事象が今感じている感情を生み出したのか探り、その事象が自分にとってどのような経験だったのか振り返り、書き出す。 3. What did I learn about myself? その特定の事象が自分に与えた感情を理解することで、自分がどのような性格・特徴のある人間なのか、自分自身についての学びを書き出す。 4. What did I learn about others? その特定の事象が他人の行動に与えた影響を振り返り、他人についての学びを書き出す。 5. How will I apply this learning to my life? この自分と他人についての学びを、今後の人生にどう生かしていくのか、具体的な方法を書き出す。 2019年10月、ロンドンへ旅行に出かけた時に見かけた雑貨屋さんで、「自問自答カード」というものが売っていて、興味はあったものの、その時は買わずにその店を出たのですが、ここ最近になって「もしかして今の自分に一番必要なものなんじゃないか? 」と意識するようになりました。 実際に自分が感じた感情に、真剣に向き合ってみる。こんな時間、他の人には必要のない、至って自然に出来ることかもしれませんが、私にとっては本当に歩行器から自立する幼児のような感覚に近いのです。 実践したものを例に挙げると、前回の「感情のリフレクション」はこうでした。 1. What [...]