コロナウイルスによる自粛期間の間に右耳のピアスの穴が完全に閉じてしまったので、通販でニードルを購入。すっかり身綺麗にすることを怠ってしまった代償だ。また、4月に控えていたビザ更新に関しても未だ外人局からの連絡を待っている状態のため、なんだか気持ちは宙ぶらりん、といった感じ。

歩みが遅いながらも、この期間中でYouTubeチャンネル、ラジオ番組の開設、またMOLS.incとして紙媒体のみでなく、ウェブにも力を入れようとドメイン開設をしたり、なんとか形になったようにも感じる。また、東京でライブストリーミングを定期的に開催している映像関係の友人と、同時刻でライブ配信が出来るコンテンツを計画中。また、個人的に映像制作の依頼も頂いたり、文筆ではなく、最近は裏方の仕事が多くなってきている。改めて、文章は毎日書き続けないと力がついてこないと実感したので、また、自分でアーティストにアポイントメントを取っていかなければなと思う。

最近はDark Jazzがお気に入り。たまに自分が制作した映像と合わせて聴くのが楽しい。

ドイツ政府は本日4月20日以降から、ブティック等の一部専門店や、小・中規模の商店の営業再開を認めた。その中で、5月3日まで3人以上の集会などを禁止、大規模イベントや音楽フェスなどの開催は8月末まで禁止するという、ベルリンに住む人々にとって、以前の生活に戻るには未だなお遠い状況とも言えるだろう。

4月19日の街の様子は、ジョギングや日光浴で心身のリラックスをする人たちや、家族や親しい友人と散歩をする姿をよく見かけるようになり、3月下旬の頃の緊迫した雰囲気と比べ、街ゆく人の表情も緩やかで、私自身、ようやく春の訪れを感じられるようになった。

さて、前回のブログでは、3月22日(日)にライブストリーミング配信を行った際の映像を公開したが、今回は、初めて自主制作した25分にも及ぶモノクロ映像を更新・紹介したいと思う。

映像を制作するにあたって、私がまず一番始めに取り掛かった作業は「自分自身を許すこと」だった。私は、ものを作るということにずっと躊躇いがあった。その一つの理由として、自分が思い描くものを形にする過程で、頭の中で創造する理想と、今の自分が実際に表現することが出来るもののクオリティー(現実)のギャップに直面するのが怖く、心底避けていたからだ。己の今の力を知るということは、時に酷く、真実を突きつけられる。その事実をどう受け入れ、いかにその恐怖と向き合うかが一番過酷なのだ。アーティストとして活躍する人たちは、日々自分との戦いなんだと思うと、何度も言うが、本当に頭が上がらない。

私は、昔の塚本晋也や石井岳龍、デヴィッド・リンチようなコントラスト比の強い、いわゆるパニック映画やパンク・カルト映画が好きで、また、ラース・フォントリアーのように、今やセンシティブなテーマを扱う非道徳な映画や、アンドレイ・タルコフスキーのような哲学的な美しさを感じられる映画が好きだ。ラース・フォントリアー監督を除くこれらの監督作品の初期作品はモノクロ映画から始まり、モノクロの映像は、時代の概念を越え、黒のコントラストが幾重にもレイヤーとなって、見る人の心理を深層へと導くのだと、勝手ながら感じるのであった。文明が栄え、8Kの映像が世間で話題になった今でも、私はアナログで粒子の荒れた荒々しい映像に、今もなお高揚感を掻き立てられるのだ。

私の中で、現実の世界と夢の世界の境界線は非常に曖昧なものだった。そんな中で、私が実際に見たものをどうやって映像に残そうかと考えた時、それは色のある世界ではなく、モノクロの世界だった。映像の核心や解説はするつもりはないが、一言伝えられるのであれば、私自身の中でこの映像は全て”事実”に基づいて制作したということだ。

今回、映像にインプロヴィゼーション(即興)で音をつけてくださったのは、サウンドアーティストとして活躍するMAKOTO SAKAMOTOさん。私の荒い映像が、見違えるほどに格好良くなり、また、レアな環境で一緒に制作出来たことを嬉しく思います。そもそもは、Keisuke Sugawaraさんとの3人での共同制作で、彼が映像と音に合わせて、これもまた即興で演じているので、出来れば「MOLS live streaming vool.1」の当日の配信動画の様子も是非ご覧いただきたい。

本当に、ありがとうございました。

映像の音源に関しては、MOLS magazineのSoundCloudページにて公開されておりますので、こちらも是非チェックしてほしいです。

実はこのライブ配信を行うにあたって、PreSonus STUDO ONEというオーディオインターフェースを手に入れた。今現在は、過去に録り溜めしていたフィールド音源を遊びではありますがミキシングしている最中です。完成次第、そちらは別のアカウントで更新予定なので、また時期がきたらご報告させていただきたいです…。

 

 

2月から3月にかけての約一ヶ月、いや、体感速度ではもっと短い期間の中で、世界の状況は全く変わってしまいました。初め、ドイツ政府の新型コロナウイルスへの認知は、2月までは感染経路もはっきりしており、あくまでも「外から来たウイルス」のイメージが強かったのですが、3月に入り、連日報道されるニュースでは「もう、すぐそこまで近づいている」という焦燥感へと変わっていった気がします。

4月となった今もなお自粛期間は続いていますが、現在ドイツにけるコロナウイルスによる新規の感染者数は、最悪期の3分の1以下の2千人程度まで減ったようで、アパレルなどの専門店を対象に、少しずつ営業を再開するところも出てくるようです。

現在のベルリンの街を見渡すと、イタリアやフランスの外出禁止令に比べると緩やかで、人々は落ち着いて健康でいることを一番に考えているように見えます。

自主企画「MOLS」は、ベルリンに滞在するなかで初めてのチャレンジでした。

イベントを進行していく中、コロナウイルスによる世界的なパンデミックが発生し、私は幾度となくこのまま進むのか、それとも止めるのかの選択を迫られることになりました。開催日の1週間前、ドイツ政府から第一段階の自粛要請が発令され、街のレストランやカフェは営業時間を短縮しながら、国民たちに対して、徐々に社会的距離を取ることを勧めました。

政府による冷静かつ断固たる姿勢を目の当たりにした中で、「やらない」「延期する」という選択を選ぶことも出来ましたが、自分の中で逆に今ある環境で出来ることを試してみたいと思い、私は、無観客の状態でライブストリーミング配信をする方向で舵を切りました。

当時は共演したMAKOTOさん、Keisukeさんと連日コミュニケーションを取りながら、自分の中でどのようなアクションが一番良いのか、考えて、考えて、電車を乗り過ごす日々も少なくなく、今思えば、テンパっていたんだろうなと感じます。

当日の様子は今でも覚えています。

共演者の2人よりも早く到着した私は、街の静観とした風景に、未だ信じられない状態でした。ただドイツは、この危機的状況に対して永遠の権力を追求したり、他者に責任を転嫁することのなく、その逞しい姿勢に改めて気付かされることも多かったです。

撮影地として利用させていただいた「Club der polnischen Versager」では、一人で機材のリハーサルをしいていた時、スタッフUrszulaさんにとても親切にしていただきました。封鎖された街のなか、閉め切った店内で彼女と2人きり、時にプライベートなコミュニケーションを取っている時間が何よりの癒しでした。

当日は、共演いただいた2人や周りの方々のお陰もあり、沢山の方からコメントやメッセージを頂くことが出来ました。

結果として、MOLS Live Streaming Vol.1を実行したことは、私が今後動き出すために必要なアクションや計画性、自分の在り方を学ぶキッカケになったと思っています。また、こんな状況下でも、作品を生み出すということに対して日々向き合っているMAKOTOさん、Keisukeさんの姿勢を見て、心からアーティストとして生きる人を尊敬しました。

ということで、当日のライブストリーミングの様子を見やすく編集したものをアーカイヴとしてYouTubeに公開致しましたので、是非見てください!

現在はIGTVでも公開できるように只今準備中ですので、またシェアさせていただきます。

「note」でも公開しておりますので、そちらもチェックよろしくお願いいたします。

https://note.com/ari_matsuoka/n/n2608874b771e

 

髪を縛る時は気合を入れる時。短い髪をまとめて、少し痛いと感じるくらいまで縛る。昔からそうだった、私の中の気合を入れる時のルーチン。髪が短くても、縛る。試合前の精神統一や覚悟に似た感覚。来るべく時にタイミングはやってくるし、辛い時だからこそ、信念を持って、その壁の先にある道に進むための秘めた力強さを持っている自分を信じたい。女らしさとか男らしさとか、そんなことよりも自分らしさを追い求めていたい。困難な時こそ、まっすぐ正直で、全力で生きたい。自分の優しい部分、純粋な部分、全部守って、活かしてあげたい。

そろそろプロフィール画像も古くなってきたな。

最近始めたことがあるんです。題して「感情のリフレクション」というんですけど、自分自身と向き合うために、一日一回30分、自分の感情や気持ちと向き合う時間を作りました。

というのも、私は今まで自分の感情を押し殺して生きてきました。自分では自覚が無く、この歳まで自分自身の感情に蓋をしたまま、開け方が分からなくなった古瓶のように、自分の気持ちが一体どこに向いているのか、対人に対して誠実に、本音で話すということがどういうことなのかさえ分からないまま、凄く悩んでいました。

幾つか例を挙げて言えば、素直に思っている感情を表現できない。本音を言いたいのに、相手を目の前にして、声が出なくなってしまったり、吃ってしまう。ディスカッションをしていて、本音でぶつかりあわないといけない場面で萎縮してしまい、相手の顔色や動向を伺うあまり人と深く関わることが出来ない、といった悩みが今もあります。

何人かから「そういうところも長所なんじゃない?」と言われることもありましたが、なんだか附に落ちず。ああ、私は変わりたいんだな、正直に自分と向き合いたいんだなと思い、このリハビリを始めました。

方法は以下の通りです。

1. What do I feel? What’s on my mind?

自分が今何を感じているか、どのような感情が心の中にあるのか、感じて書き出す。

2. What affected me the most?

どのような事象が今感じている感情を生み出したのか探り、その事象が自分にとってどのような経験だったのか振り返り、書き出す。

3. What did I learn about myself?

その特定の事象が自分に与えた感情を理解することで、自分がどのような性格・特徴のある人間なのか、自分自身についての学びを書き出す。

4. What did I learn about others?

その特定の事象が他人の行動に与えた影響を振り返り、他人についての学びを書き出す。

5. How will I apply this learning to my life?

この自分と他人についての学びを、今後の人生にどう生かしていくのか、具体的な方法を書き出す。

2019年10月、ロンドンへ旅行に出かけた時に見かけた雑貨屋さんで、「自問自答カード」というものが売っていて、興味はあったものの、その時は買わずにその店を出たのですが、ここ最近になって「もしかして今の自分に一番必要なものなんじゃないか? 」と意識するようになりました。

実際に自分が感じた感情に、真剣に向き合ってみる。こんな時間、他の人には必要のない、至って自然に出来ることかもしれませんが、私にとっては本当に歩行器から自立する幼児のような感覚に近いのです。

実践したものを例に挙げると、前回の「感情のリフレクション」はこうでした。

1. What do I feel? What’s on my mind?

少し落ち込んでいる、モヤモヤする。

2. What affected me the most?

友人に対して、素直な感情を表現できない。「会いたい」「話したい」と素直に言葉にすれば良いだけなのに、相手の今の状況や顔色を伺ってしまい、詮索するような言葉を投げかけてしまい、相手のペースを乱してしまう事がある。好きな人から嫌われたくないという思いが強いのかもしれない。

3. What did I learn about myself?

全てにおいて、私は自分主体ではなく、相手主体で言葉や行動を選んでいる癖があるのかもしれない。一見相手を思う言葉のように見えて、親の顔色を伺う子供のようになってしまう。周りくどい言い方をして、相手に発言の責任を持たせようとしているのかもしれない。

4. What did I learn about others?

誰も傷つけずに自分を生きることは出来ないということを受け入れる。自分の気持ちに正直になれないと、相手に対しても中途半端な関係しか築けないことを知った。

5. How will I apply this learning to my life?

相手の様子を伺って詮索するような行動を取る必要はない。そして、自分が嫌われるのかもしれないとか、普段からネガティブに物事を考えすぎることを理解したうえで、まず「相手がどう思うか」ということよりも「自分がどう思うのか」を優先してみる。自分の気持ちに正直で生きることによって、好きだけど関係が離れていく人もいるかもしれない。それでも怖がらずに自分の意思に責任を持つことで、相手に対しても本当の意味で誠実な対応が出来るのかもしれない。

このように、自分自身に対して客観的になることで、少しずつ自分を理解していこうと思った。基本PCに向かうことが多いので、メモ帳に日記のように残して記録していっている。普段からポジティブなことやネガティブはことも、素直に感情を吐き出せるノートもあって、それは2年前からずっと続けている。

まだまだ”自分らしさ”という言葉が理解できていないことも多々あるが、以前よりもベルリンに来てからの方が自分自身に向き合えている気がする。そう思うと嬉しくて、自分をもっと大切にしてあげたいと思える。

自分に嘘をつかない。私にとって、一番難しい作業。自分のことを尊重できるようになれたら、自分を許せるのかもしれないなあ。

 

もうすぐ4月になろうとしているのに、息が白くなるほどの外気の冷たさに、思わず仕舞いかけていたお気に入りのマフラーを取り出した。今日は曇りのち雨。天気予報を確認したにも関わらず、決まって折り畳み傘を忘れて外出してしまった。そんな時、いつも「まあ、いっか」とずぼらな性格は、昔から治らない。

すっかり見慣れたベルリンの街、一定間隔の距離を開けながら目の前を歩く人と歩幅を合わせる。足並みが揃ったところで、つい頭の中でTHE BEATLES「Abbey Road」のジャケット写真を思い出す。まるで、先頭を颯爽と歩くジョン・レノンの後をついていくリンゴ・スターのようで、思わずカメラを取り出し、後ろ姿を1枚頂戴した。

人通りのない街の中をイヤホンをしながら歩くのが好きだ。今日はTom Waitsのアルバム「Closing Time」を聴きながら、すれ違う人もまた、イヤホンを着けているのを見かけて、その人が今何を感じてこの瞬間を生きているのかを少しだけ想像してみたりする。

14時過ぎ、友人宅でコーヒーを飲みながら窓の外を覗くと、まるで春に舞うポプラの綿毛のような大きな雪の粒が舞っていた。思わずベランダの外に出て大きく身を乗り出して空を見上げる。冷たい、というよりふわふわと肌に馴染んで気持ちが良かった。腕を虫取り網のように大きく横に振って、綿毛のような雪を捕まえる。服の裾にどんどんと積もってゆく様子が楽しくて、無我夢中ではしゃぐ私を見て、友人が部屋からタオルを持ってきてくれて、しょうがないなと、笑いながら私の頭に積もった雪を拭った。

ベランダから下を覗くと、自転車で走るおじさんの服の前だけ、雪がびっしりと積もっていて、リバーシブルになっていた。その光景に笑顔になっている通行人の姿を見て、なんだか泣きそうになった。今この瞬間全てが愛おしくてたまらなくて、全然寒くなかった。

私はなんでもすぐに感情的になってしまう。マイナスに働くことも沢山あるし、生きているうちで損することだって沢山ある。この性格で生きづらさを感じることも数えきれない程ある。ただ、人よりも感情の振り幅が大きいということは、幸せだと感じた時の振り幅も二倍だということを理解すると、「これが私らしさなんだな」と思える。

今日見たベランダからの雪は、今まで見た雪とは全然違った。歪な形をしていて、服に張り付いた結晶は潰れてすぐに水に変わってしまってずぶ濡れになった。でも私にとっては、今まで見た雪の中でもとりわけ美しかった。歪な形というのは”自然の形”なんだ。歪というのは”素朴”なんだ。降り注ぐ雪と自身を照らしわせて、ありのままでいることはどんなに着飾ったものよりも美しいことなんだと私に教えてくれているかのようだった。

結局、たった一時間で雪は止んでしまい、ベルリンの街に雪が積もることはなかったけれど、今日一日を名一杯感じて生きることが出来た私を誉めてあげたいと思った。一日一日、その瞬間に感じたことを大切に、目一杯生きる。

Screamin’ Jay Hawkins「I Put a Spell On You」を聴きながら、誰も見ていない部屋で一人、無表情のまま踊る。ここ最近の私は、いつにいなくフリーダムだ。

Jim Jarmuschを介してScreamin’ Jay Hawkinsの存在を知ったという人は多いだろう。私もそのひとりで、20代の頃、レンタルショップで何気なくDVDを借り、初めて「STRANGER THAN PARADISE」を観たときの衝撃はいまだ忘れられない。音楽を愛する人なら誰にでも、その後の人生の方向性を決定づけるような衝撃的音楽体験というものがいくつかあると思う。私の人生のワンシーンの中で「I Put A Spell On You」との出会いは、少し多げさにも感じるが、まさにそういうものだった。

どうもこの曲の意味を探ると、女に捨てられた男の”恨み節”だそうだが、その音楽をアメリカに来た異邦人であるエヴァが、テーマソングかのように部屋でかけ流しながら無表情で踊っている姿がなんだかストレンジャーで記憶に深く残っている。作中のアメリカの風景も、白黒映画にするとそこがヨーロッパの街並みに見えてしまう不思議な感覚もまた新鮮だった。

ヨーロッパ、特にドイツの風景は白と黒が似合う。そんな自身の思いもありながら、最近は簡単だけど白黒で映像を撮ってみたり、この期間を使ってやりたいことをやっている気がする。

何かを表現したり、自分が持っている感情を形にすることは本当に難しい。いや、正確にいえば、思い描くものを形にする過程で、自分が思い描く理想と、今の自分が全力を出して表現するもののクオリティー(現実)のギャップに直面し、荒くて青い、ただのオナニーのような吐き出し物を本当に他の人の前に曝け出せるのか、というところで手が、足が、思考が止まる。

アーティストとして活動している人たちにとって、日々、いかに「今この時の、ありのままの自分を受け入れ、表現できるか」という場面で戦っている。私は文章を書く人間として、先日、初めて人に自分が’作った”ありのままの映像”を公開し、その時点でひゃ〜となっている芋野郎だ。作品を生み出すということは、生半可な気持ちでは出来ない。自分の感情に正直に生きるということは、それ相当の覚悟がいるだろう…。そう思っている私にとって、心からアーティストとして生きている人たちを尊敬した。ただそれと同時に、自分も表現者(文筆)として、映像作品を作るという違った形で新しい経験が出来たことは、今後アーティストの方へ取材する上でとてもいい気付きになった。だから、今後も映像は撮り続けたい。もっとブラッシュアップできるように、ゆっくり、ゆっくり深めていきたい。

文を書くこと、映像を撮ること、表現方法は違えど同じこと。

自分の為にやってきたことが、いつか周りの為になることを願いたい。

先日、ふと夜中4時過ぎに目が覚めた。

いつもと違った、少し荒々しい風の音が窓ガラスを揺する音を聞いて「ベルリンで過ごした冬がもう直ぐ終わろうとしている」と思うと、途端に寂しくなって胸が締め付けられそうになった。

この部屋で何時間も将来について考えたり、数え切れないくらい泣いた暗く長い冬が、辛くもあったけど同時にとても愛おしい時間だったんだなと気付く。それからは、まるで最愛の人との時間を一気に取り戻すかのように、意識的に夜一人で散歩をすることが増えた。思考が巡り、悩んでも答えが出ない、そんな苦しい夜が何日続いても、ベルリンで過ごした初めての冬を忘れたくはない。

きっと私の中で、最も美しく、酷い冬だった。

ベルリンの寒さは、人や風景の感情を露わにする。目を背けていた過去と正面から向き合わざるを得ず、素肌を冷えたナイフでなぞられるような恐怖を感じることもあれば、今まで以上に人の温かさに触れ、友人が作ったケーキを食べながら、もっと一緒にいたいなと恥ずかしげもなく言えたりすることだってある。

寒ければ寒いほど、人は人で暖を取ろうと寄り添う。そんな冬が、心から愛おしい。だから、終わってしまう冬を目の前に、寂しいとは言わずに、ただシンプルに愛と敬意を持って送り出したい。いつも凄い不器用だなと思うけど、自分らしく、そう思った。

少しずつ、街を歩く人たちの服装が軽装になっていくのを横目に、私も春を迎え入れる準備をしなければいけないね。

 

師走は名前通り毎年忙しなく駆け抜けていくので、息つく間もなく年末を迎える。

今年はベルリンで年越しを迎える貴重な機会だ。ドイツ人が大好きなハッピークリスマスを過ぎたあたりから、街はまるで国境を越えたかのように、時折爆竹や花火の爆発音が鳴り、物騒な雰囲気が漂う。今年は新参者ということでその爆発音を体験してみようと思い、夜は毎年”激しい”と話題のクロイツベルク地区周辺へ撮影しにいこうと思う。今年から警察の規制が激しくなったと噂に聞くが、実態はどうなんだろうか。

さて、今年の締めくくりとして「2019年はどんな年だったか」と聞かれたら、間違いなく「寒中水泳と禅のメドレー競技を交互に繰り返している修行僧のようだった」と答えるかもしれない。これは実践したという話ではなく、あくまで例え話になるということと、”修業”とは違い精神を鍛える年だったという面でも、ここでは”修行”と使い分けたいと思う。

自分にとっては荒い行動だったが、「付き合う友人を変える」「居場所を変える」ことで、破壊的ではあるが変化を取り入れることが出来るのではないかと思った私は、ベルリンに移住することを決意した。実際、身体に直接的にショックを与えることで強靱なメンタルが得られたように感じる。

今までの自分ではあり得ないほどのスピードで変化しているので、本音を言えば、歯の1本や2本は折れている感覚に近い。だけど人間っていうものはいやはや順応的で、歯が折れてもいずれは止血するし、折れたあとの方がもっと歯を大事にしようと歯科へ定期的なメンテナンスに通おうと意識が変化するのである。

これが「寒中水泳と禅」に例えるとどうだろう。見るからに辛そうだし、初めから気持ちがいいわけはないし、どれほどイメージトレーニングをしていても、その心構えを遥かに上回る程、全身に突き刺さる痛みと寒さと動脈が収縮する(ここ息継ぎなしで口に出して欲しい)感覚に、初めは長く耐えられないだろう。私にとって、海外で暮らし、あらゆる変化に柔軟に対応する行為は、自分の体力(メンタルの強さ)を知ることにも繋がった。既にベルリンに生活し、冷水に慣れた様子で泳いでいる人々の姿を見て「気持ちよさそう」と一言、私は冷水に裸一貫で飛び込んだのだ。

結果、風邪をひいた。でも死ななかった。そう、人間は順応的なのだ。

そして寒中水泳でなんとかバタ足で50m泳ぎ切ったその先で、ベルリンスタイルに身を包んだ僧侶が警策(棒)を持って待ち構えていた。息を切らした状態で全裸で正座し、自分の心を洗い流し、不要なものを捨てる修行へと切り替わる。非常に忙しない心情のなかで、自分自身を見つめ、自我の開放を目指す。30分間、膝の痺れと震える寒さに耐え、時に警策で喝を入れられながらまた冷水の中に飛び込むのだ。

ただこのメドレー競技は拷問ではない。このメドレーには沢山の指導者がいて、寒中水泳の後には身体を摩ってくれる人がいて、冷水に浸かることで脂肪燃焼や心臓病の予防にもつながることを教えてくれた。座禅でも、ただ叩くのではなく、励ましの意味を込めて道を誤らないように方向を正してくれる僧侶を身近に持ったことがとてもラッキーだった。

この”静と動のメドレー”のお陰で、今まで近づくことの出来なかったジャンルの人たちと話すことが出来たり、SHIFTmagazineに寄稿させていただいたり、Kana MiyazawaさんとBerlin Atonal 2019の取材に同行させてもらえたり、MAKOTO SAKAMOTOさんのアルバム”reflection”について初めてライナーノーツを書かせてもらたり、ベルリンのライブハウスでイベントに出る機会を頂けたりしたんだと思う。

このように、自ら体感することが何よりの知恵だということも理解できたが、潰れてしまわないように傍で見守っていてくれる人たちに支えられた1年間だった。関係ないけど、正拳突きも簡単ではあるが習った。今後、私はもっと強くなるに違いない。

自分が書く文章について、実際に媒体を通して書いたものよりもこのブログに書いてある文章が面白いと評価してくれる人が現れたり、もう少し自分の得意な部分を活かせたらなと思う。「文筆家は自己規制してはならない」「常に頭の中を無政府状態にしておかなければならない」。この言葉は、誰にでも当てはまる訳ではないが、少なからず今の私にはとても核心に触れる言葉だった。その為には周りの情勢や歴史についてもっと学ぶ必要があると思うし、誰も考えもしなかった言葉を纏い、表現できるほどの経験が必要だなと思った。

去年の自分なら理解できなかっただろう「自身の奥にある暗くて深い闇の部分を受け入れつつ、正のパワーやオーラに変えてどう表現できるのか」が1つの大きな課題でもあるなあ。その為にも、2020年もまだまだ寒中水泳と禅のメドレーを続けつつ、魂の解放を続けていくことになるだと思う。

昨日は、オープン直前の隠れ家創作レストラン「Restaurant Yuumi」でコース料理を味わうという贅沢な体験をしたので、その余韻を引きずったまま記録している。

Nöldnerplatz駅から徒歩5分の場所に、まだ看板の灯りも無くひっそりと佇むレストラン。広く間隔をとった客席、その奥に4人掛けのカウンターが見え、店主のYutaさんと奥様のMichaelaさんが温かく出迎えてくださった。中に入ってすぐ横のハンガーラックに上着を預け、肌寒い外の空気とはうって変わり、ムーディーな音楽と温もりのある木材を基調としたインテリアに、私はすっかりと顔が火照ってしまい、席に掛けたあともしばらくはどきどきして落ち着きがなかった。

メニューは全てその日に買い付けた食材や旬の食物を使用しているらしく、体が喜ぶようなおしながきが各席の前に添えられていた。完全予約制のコンセプチュアルなレストランなので、毎日のメニューはその日来店されるお客様のご要望や体質に合わせてフレキシブルに変えていくそう。今回はそれぞれ職業分野の違った4人が集まっていい料理・いいワインを味わおうということで、始めにドイツの赤ワイン「Markus Schneider Ursprung」で乾杯をした。

カウンターに横並びで座ると、目の前に枠組みされたキッチンから料理が出来上がっていく過程が見えるようになっている。調理されてゆく食材を眺めながら、4人で自然と愛について質疑応答が始まっていた。普段このような話は恥ずかしくて苦手な私でも、何故だか今日は友人の恋愛話が聞いてみたくなり、自分も自然と話題に出した事に驚きつつ、いや、この雰囲気がそうさせるのだと感じた。空間にマッチするかのように、この夜は理想の愛について話してみたくなったのかもしれない。

奥様がコースメニューについて丁寧に説明してくださった後、美しい器に盛り付けられた料理をゆっくりと味わいながら、より深い話に進展していく。
なにより、これだけ深い話が出来る理由は4人の関係性以上に「食欲」と「BGM(音楽)」が密接に関係している気がした。

ある研究では、食事中の音楽によって食欲がコントロールされるという結果が出ている。事実、優雅な音楽やTPOに合わせたBGMは目の前の食材をより豊かで愛に満ちた一品に変化させる。店内の音楽はジャズがメインとなり、エラ・フィッツジェラルドやカウント・ベイシー・オーケストラ、ジュリー・ロンドンなどが流れ、まるでそこがベルリンだということを忘れてしまうほど。

私はロマンチックな演出にめっぽう弱い。美味しい食事と愛を謳った音楽があれば、一瞬で恋に落ちてしまうかもしれない。そういった意味でこのレストランは、これから数多くの愛が生まれる場所になるのだろう。そう思いながら、ま新しい食器やグラス、大きな木目のテーブルに目をやり、誰かの幸せそうな顔を思い浮かべた。

料理や流れる音楽に合わせて、会話の流れも流動的に変化していくことが楽しくて、私はただ周りの空気を思いっきり吸い込んで五感で「贅沢な時間」を味わった。

店主と奥様の人柄を見て、どれほどこのお店が愛情込めて作られたものなのかは一目でわかる。
愛情を受けて育ったお店には、愛情を持ったお客様で溢れかえるに違いないよなぁ。
食欲が満たされたと同時に心も満たされ、自然と周りの人へ感謝をしたくなる、そんな場所。全ての料理が終わった頃にはすっかり4人ともYutaさんの魅力にハマってしまい、Yutaさんが奥様に照れながら「見た目には自信はないけど、ハートは誰よりも熱いから」と話していた姿が忘れられない。

帰り道、先ほどの幸せだった余韻に浸りながら、駅に向かう時間でさえも愛おしく感じ、少し早いけど自分へのいいクリスマスプレゼントになったなと思った。
なんとなく、この気持ちを忘れたくないと思ったので、自分なりにこのレストランの雰囲気に合ったプレイリストを作ったので、これを聴きながら想像して欲しい。そして、来週末晴れてオープンするベルリンの新しいホットスポットに是非訪れて欲しい。


“Restaurant Yuumi”

Berlin Nöldnerplatzにあるフレンチ×日本食の創作レストラン”Restairant Yuumi”のコース料理をイメージしたプレイリストです。

https://open.spotify.com/playlist/5UWTimPru5CesboMNvxef4?si=yH-KdPdkTtSdb-esSpWjGQ


 

Restaurant Yuumi

Emanuelstr 1 10317 Berlin

https://www.restaurantyuumi.com