冬が終わろうとしている

先日、ふと夜中4時過ぎに目が覚めた。 いつもと違った、少し荒々しい風の音が窓ガラスを揺する音を聞いて「ベルリンで過ごした冬がもう直ぐ終わろうとしている」と思うと、途端に寂しくなって胸が締め付けられそうになった。 この部屋で何時間も将来について考えたり、数え切れないくらい泣いた暗く長い冬が、辛くもあったけど同時にとても愛おしい時間だったんだなと気付く。それからは、まるで最愛の人との時間を一気に取り戻すかのように、意識的に夜一人で散歩をすることが増えた。思考が巡り、悩んでも答えが出ない、そんな苦しい夜が何日続いても、ベルリンで過ごした初めての冬を忘れたくはない。 きっと私の中で、最も美しく、酷い冬だった。 ベルリンの寒さは、人や風景の感情を露わにする。目を背けていた過去と正面から向き合わざるを得ず、素肌を冷えたナイフでなぞられるような恐怖を感じることもあれば、今まで以上に人の温かさに触れ、友人が作ったケーキを食べながら、もっと一緒にいたいなと恥ずかしげもなく言えたりすることだってある。 寒ければ寒いほど、人は人で暖を取ろうと寄り添う。そんな冬が、心から愛おしい。だから、終わってしまう冬を目の前に、寂しいとは言わずに、ただシンプルに愛と敬意を持って送り出したい。いつも凄い不器用だなと思うけど、自分らしく、そう思った。 少しずつ、街を歩く人たちの服装が軽装になっていくのを横目に、私も春を迎え入れる準備をしなければいけないね。  

静と動のメドレー

師走は名前通り毎年忙しなく駆け抜けていくので、息つく間もなく年末を迎える。 今年はベルリンで年越しを迎える貴重な機会だ。ドイツ人が大好きなハッピークリスマスを過ぎたあたりから、街はまるで国境を越えたかのように、時折爆竹や花火の爆発音が鳴り、物騒な雰囲気が漂う。今年は新参者ということでその爆発音を体験してみようと思い、夜は毎年”激しい”と話題のクロイツベルク地区周辺へ撮影しにいこうと思う。今年から警察の規制が激しくなったと噂に聞くが、実態はどうなんだろうか。 さて、今年の締めくくりとして「2019年はどんな年だったか」と聞かれたら、間違いなく「寒中水泳と禅のメドレー競技を交互に繰り返している修行僧のようだった」と答えるかもしれない。これは実践したという話ではなく、あくまで例え話になるということと、"修業"とは違い精神を鍛える年だったという面でも、ここでは"修行”と使い分けたいと思う。 自分にとっては荒い行動だったが、「付き合う友人を変える」「居場所を変える」ことで、破壊的ではあるが変化を取り入れることが出来るのではないかと思った私は、ベルリンに移住することを決意した。実際、身体に直接的にショックを与えることで強靱なメンタルが得られたように感じる。 今までの自分ではあり得ないほどのスピードで変化しているので、本音を言えば、歯の1本や2本は折れている感覚に近い。だけど人間っていうものはいやはや順応的で、歯が折れてもいずれは止血するし、折れたあとの方がもっと歯を大事にしようと歯科へ定期的なメンテナンスに通おうと意識が変化するのである。 これが「寒中水泳と禅」に例えるとどうだろう。見るからに辛そうだし、初めから気持ちがいいわけはないし、どれほどイメージトレーニングをしていても、その心構えを遥かに上回る程、全身に突き刺さる痛みと寒さと動脈が収縮する(ここ息継ぎなしで口に出して欲しい)感覚に、初めは長く耐えられないだろう。私にとって、海外で暮らし、あらゆる変化に柔軟に対応する行為は、自分の体力(メンタルの強さ)を知ることにも繋がった。既にベルリンに生活し、冷水に慣れた様子で泳いでいる人々の姿を見て「気持ちよさそう」と一言、私は冷水に裸一貫で飛び込んだのだ。 結果、風邪をひいた。でも死ななかった。そう、人間は順応的なのだ。 そして寒中水泳でなんとかバタ足で50m泳ぎ切ったその先で、ベルリンスタイルに身を包んだ僧侶が警策(棒)を持って待ち構えていた。息を切らした状態で全裸で正座し、自分の心を洗い流し、不要なものを捨てる修行へと切り替わる。非常に忙しない心情のなかで、自分自身を見つめ、自我の開放を目指す。30分間、膝の痺れと震える寒さに耐え、時に警策で喝を入れられながらまた冷水の中に飛び込むのだ。 ただこのメドレー競技は拷問ではない。このメドレーには沢山の指導者がいて、寒中水泳の後には身体を摩ってくれる人がいて、冷水に浸かることで脂肪燃焼や心臓病の予防にもつながることを教えてくれた。座禅でも、ただ叩くのではなく、励ましの意味を込めて道を誤らないように方向を正してくれる僧侶を身近に持ったことがとてもラッキーだった。 この”静と動のメドレー”のお陰で、今まで近づくことの出来なかったジャンルの人たちと話すことが出来たり、SHIFTmagazineに寄稿させていただいたり、Kana MiyazawaさんとBerlin Atonal 2019の取材に同行させてもらえたり、MAKOTO SAKAMOTOさんのアルバム"reflection"について初めてライナーノーツを書かせてもらたり、ベルリンのライブハウスでイベントに出る機会を頂けたりしたんだと思う。 このように、自ら体感することが何よりの知恵だということも理解できたが、潰れてしまわないように傍で見守っていてくれる人たちに支えられた1年間だった。関係ないけど、正拳突きも簡単ではあるが習った。今後、私はもっと強くなるに違いない。 自分が書く文章について、実際に媒体を通して書いたものよりもこのブログに書いてある文章が面白いと評価してくれる人が現れたり、もう少し自分の得意な部分を活かせたらなと思う。「文筆家は自己規制してはならない」「常に頭の中を無政府状態にしておかなければならない」。この言葉は、誰にでも当てはまる訳ではないが、少なからず今の私にはとても核心に触れる言葉だった。その為には周りの情勢や歴史についてもっと学ぶ必要があると思うし、誰も考えもしなかった言葉を纏い、表現できるほどの経験が必要だなと思った。 去年の自分なら理解できなかっただろう「自身の奥にある暗くて深い闇の部分を受け入れつつ、正のパワーやオーラに変えてどう表現できるのか」が1つの大きな課題でもあるなあ。その為にも、2020年もまだまだ寒中水泳と禅のメドレーを続けつつ、魂の解放を続けていくことになるだと思う。

食欲と音楽の関係 〜Restaurant Yuumiにて〜

昨日は、オープン直前の隠れ家創作レストラン「Restaurant Yuumi」でコース料理を味わうという贅沢な体験をしたので、その余韻を引きずったまま記録している。 Nöldnerplatz駅から徒歩5分の場所に、まだ看板の灯りも無くひっそりと佇むレストラン。広く間隔をとった客席、その奥に4人掛けのカウンターが見え、店主のYutaさんと奥様のMichaelaさんが温かく出迎えてくださった。中に入ってすぐ横のハンガーラックに上着を預け、肌寒い外の空気とはうって変わり、ムーディーな音楽と温もりのある木材を基調としたインテリアに、私はすっかりと顔が火照ってしまい、席に掛けたあともしばらくはどきどきして落ち着きがなかった。 メニューは全てその日に買い付けた食材や旬の食物を使用しているらしく、体が喜ぶようなおしながきが各席の前に添えられていた。完全予約制のコンセプチュアルなレストランなので、毎日のメニューはその日来店されるお客様のご要望や体質に合わせてフレキシブルに変えていくそう。今回はそれぞれ職業分野の違った4人が集まっていい料理・いいワインを味わおうということで、始めにドイツの赤ワイン「Markus Schneider Ursprung」で乾杯をした。 カウンターに横並びで座ると、目の前に枠組みされたキッチンから料理が出来上がっていく過程が見えるようになっている。調理されてゆく食材を眺めながら、4人で自然と愛について質疑応答が始まっていた。普段このような話は恥ずかしくて苦手な私でも、何故だか今日は友人の恋愛話が聞いてみたくなり、自分も自然と話題に出した事に驚きつつ、いや、この雰囲気がそうさせるのだと感じた。空間にマッチするかのように、この夜は理想の愛について話してみたくなったのかもしれない。 奥様がコースメニューについて丁寧に説明してくださった後、美しい器に盛り付けられた料理をゆっくりと味わいながら、より深い話に進展していく。 なにより、これだけ深い話が出来る理由は4人の関係性以上に「食欲」と「BGM(音楽)」が密接に関係している気がした。 ある研究では、食事中の音楽によって食欲がコントロールされるという結果が出ている。事実、優雅な音楽やTPOに合わせたBGMは目の前の食材をより豊かで愛に満ちた一品に変化させる。店内の音楽はジャズがメインとなり、エラ・フィッツジェラルドやカウント・ベイシー・オーケストラ、ジュリー・ロンドンなどが流れ、まるでそこがベルリンだということを忘れてしまうほど。 私はロマンチックな演出にめっぽう弱い。美味しい食事と愛を謳った音楽があれば、一瞬で恋に落ちてしまうかもしれない。そういった意味でこのレストランは、これから数多くの愛が生まれる場所になるのだろう。そう思いながら、ま新しい食器やグラス、大きな木目のテーブルに目をやり、誰かの幸せそうな顔を思い浮かべた。 料理や流れる音楽に合わせて、会話の流れも流動的に変化していくことが楽しくて、私はただ周りの空気を思いっきり吸い込んで五感で「贅沢な時間」を味わった。 店主と奥様の人柄を見て、どれほどこのお店が愛情込めて作られたものなのかは一目でわかる。 愛情を受けて育ったお店には、愛情を持ったお客様で溢れかえるに違いないよなぁ。 食欲が満たされたと同時に心も満たされ、自然と周りの人へ感謝をしたくなる、そんな場所。全ての料理が終わった頃にはすっかり4人ともYutaさんの魅力にハマってしまい、Yutaさんが奥様に照れながら「見た目には自信はないけど、ハートは誰よりも熱いから」と話していた姿が忘れられない。 帰り道、先ほどの幸せだった余韻に浸りながら、駅に向かう時間でさえも愛おしく感じ、少し早いけど自分へのいいクリスマスプレゼントになったなと思った。 なんとなく、この気持ちを忘れたくないと思ったので、自分なりにこのレストランの雰囲気に合ったプレイリストを作ったので、これを聴きながら想像して欲しい。そして、来週末晴れてオープンするベルリンの新しいホットスポットに是非訪れて欲しい。 "Restaurant Yuumi” Berlin Nöldnerplatzにあるフレンチ×日本食の創作レストラン”Restairant Yuumi”のコース料理をイメージしたプレイリストです。 https://open.spotify.com/playlist/5UWTimPru5CesboMNvxef4?si=yH-KdPdkTtSdb-esSpWjGQ   Restaurant Yuumi Emanuelstr 1 10317 Berlin https://www.restaurantyuumi.com  

消えてなくなる

今年、私のなかの色んなものが消えていなくなった。 ここに来て、もう昔の私には戻れないステージまで来ているような気がする。 心配性で、常に背中に壁がある状態でないと落ち着かなかった私だったけど、ふと振り返れば、随分と遠くまで歩いてきたようで、背中にあった壁は取り壊されて跡形もなく無くなっていた。 誤って破損したものは修復できるけど、大きな衝撃で破壊されたものは二度と修復できない。昔テレビ「劇的ビフォーアフター」で、思い出の家の内装が容赦無く取り壊されて、家主がその光景を見て思わず泣いてしまうシーンを思い出し、今の私の心情が全くその通りだなということに気付いた。 別に無理矢理取り壊されたわけでもなく、自分から依頼したはずなのに、手放す行為に対して恐怖を感じる。お気に入りのブランケットを手放し一人でベットに向かう子供のような、自然と過去の習慣から卒業できるわけもなく、まあ大人はややこしく、面倒に育つものだ。 容赦無く破壊されていく様子にただただショックを受け、もう二度と戻らない光景に泣きじゃくった日々もそう長くは続かない。泣いた後は、隣人から「なんだ、そっちの方がいいじゃん」「昔の面影が消えて明るくなったよ」という言葉が貰え、初めは歪でも、心も体も自然と形状記憶するんだということを学んだ。今の気持ちは凄くスッキリしている。それと同時進行して、割とやること山積みな状況に苦笑いしながらも「とりあえず進みます!間違ったらごめんなさい!その都度教えてください!」と軽い気持ちで考えられるようになったような気がする。 人間には、時に必要のない美学がある。悪魔崇拝が流行らなくなった今、次に目指すステージは闇や影の部分を表に出さずにオーラやパワーに変えて光を放てるようになりたい。

非表示ルートを走る

ベルリンに来た時が5月21日。あっという間にベルリンに滞在してから半年間が経過し、ヘッドホンを着けながら電車に乗ることも怖かった当時も、今では半分寝ながら乗り継ぎができるほど、この街にも"とりあえず"慣れてきたように感じる。 暫くは電車での移動がメインだったが、ある日マコトさんから今は使わなくなったお下がりのBMXを譲っていただいた。マコトさんは簡単に説明すると「ベルリンの灰野敬二」みたいな人で、いつも会話の最後は「今日も話し過ぎた」と言ってごめんねと謝ってくれるサイコな部分もあるけれど優しい人だ。 11月の早朝5時半、私はGoogleMapに表示された通りのルートを走っていた。自宅から目的地までの間には大きな下り坂があり、その下り道の一番裾まで一気に下り切ったところで、交通量の多い道路を直線に走る経路だった。その経路をマコトさんに話すと「その道よりもっと景観も良くて最短距離の経路があるよ」と、地元を精通したタクシードライバーの如く、マップには載らない”非表示ルート”の通り名から何個目の曲がり角を右折する等、詳しく教えていただいた。 GoogleMapでは教えてくれない経路に若干の不安を覚えながら、翌日教えてもらった通り、大きな下り坂を降りる直前、自転車道のある道へ右折する。以前の道は景観も淡々としていて交通量も信号も多く、各所で信号機に引っ掛かり失速しなければいけない時が多かった。だが、新しく教えてもらった道にはしっかりと自転車道が確保されており、景観も良く、信号機も少ない。考え事や思いに耽るには格好の経路だった。 そして何より、GoogleMapで最短ルートとして表示されていた道よりも近く、体力の消耗も少なく済み、流石、長く住んでいる人の言うことは本当だったと後日電話で感謝を伝えた。 この日から、走りながら独自のルートを見つけ出すことも大切だけど、こうして初めからショートカット出来る部分は人から習って試してみることも学び、そのお陰で毎日の自転車移動が楽に感じるようになったし、地図も見ずに景観や通り名で大体の居場所が分かるようになった。 自転車に乗っている間、基本的には最近起こった出来事や最近話した話題について振り返ることが多い。最近でいえば、自身の言動に対して賛否両論やヘイターが出ることに対して恐れない様に構えることだったり、中途半端な知識や文章には誰の心も動かせないということ。 文章を書く人のことを表現者とするならば、本当に読まれるものは、何かヤバイことが書かれていそうだったり、タイトルを見てハラハラドキドキしたりするものなんだろう。 ライターやジャーナリストはどうしても情報量過多になりやすく、広く浅くなってしまいがちな面もある。だけど私はもう少し、自分の性格に慣い、いっそのこと完全にアンダーグラウンドに振り切ってしまってもいいのかもしれない。私はくそったれの馬鹿野郎だから。何度も「そうした方がいい」と言われながらも、どこかで身綺麗で居たいという自分もいたから、放送コード気にしたり禁止ワードに過敏になりすぎていた部分もある。 ただある程度「非表示ルート」を上手く通り抜けるためには、先ほどの自転車ルートのようにAパターン、Bパターン、複数のパターンを認知していることが重要だったり、また走っている時の景観が大事みたいなことと同じように、執筆中のフィーリングが「気持ちいいかどうか」という部分が、シンプルだけど大切だったりする。 不愉快なものを愉快がる人もいるし、批判・批評する人生の先輩と呼ばれる人たちも、恐らく私より先に死ぬ。そう思えばちょっとくらい枠からはみ出してもいいかもしれないな。今はまだ恐る恐るだが、少しずつ、マップに載っていない独自のルートを作る過程段階へ突入する。

寂しさの裏を知る

ちょうどさっき、日本からベルリンに滞在していた友人をテーゲル空港まで送り届け自宅に着いた。アパートのエントランスを抜ける前にポストの中身を確認すると、ちょうどさっき空港へ送り届けた友人からのポルトガルで書いたであろうポストカードが届いていた。ほんの数時間前までここで一緒に朝食を取っていた光景を思い出し、また別れのハグで少し目が潤んでしまったこともあって、私はそのポストカードと唯一日本から持ってきた大きな抱きぐるみを抱え、ナンニモナイ空虚な部屋で感情のままに泣いた。 友人が滞在していた2週間は、私自身、ベルリンの気候の変化や感情の変動が目まぐるしく、友人が観光から帰ってきても背中を向けてパソコンをずっと触ってばかりで、ゆっくりと話すことも出来ないでいた。自分は家族以外で人と一緒に生活をした試しがなく(4歳の頃から風呂場には一人で入り鍵を閉めるほど一人の空間が大事な人間だった)、自分自身を追い込むときに出る空気感やあらゆる感情に揉まれる私をみて、彼女は心から安堵して滞在することが出来たのだろうかとか、色んなことを考え込んでしまった。 失恋や別れの何がこんなに悲しいのかって、相手を失った喪失感というよりは、自分の身体の一部が欠けてしまった事に対する痛みなんだと思っている。勿論それがほんの数回しか面識のなかった友人であっても、そこにドラマが生まれれば、それは自分の細胞の一部になる。 送り届けた帰り道、私はいよいよ本当に自分自身と対面し真剣に向き合わないといけない時が来たと思い、別れの悲しさとこれからのベルリンでの生活に対するプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。これまでは「人が家にいるから」という理由で少し自分に対して甘えの対象があった分、また一人の生活に戻ったことでギアを切り替えて行動していかなくてはいけなくなった。その時、自分では気付いていなかった「ああ、私は間接的に友人に甘えていたんだな」という感情が冬の衣服に滲んで濡らし、ひやっとなってまた涙がでそうになった。 寂しいと思うとき、人間だれしもその感情には裏があるんだと思う。 今回の自分のケースも、ただ単に友人が日本に帰ってしまったことに対する「寂しさ」というシンプルなものだけではなく、その先の生活に対する「恐怖心」や「劣等感」、またそこから派生して日本に残る家族に対する自分勝手な罪悪感など、複数の場面がリンクして「寂しい」は生まれるんだと知った。私の寂しいという感情は、依存心ではなくその奥にある別の感情から成るものであり、究極、その答えは「自己肯定の低さ」に現れるというところまで行き着いた。ただそれもポジティブに考えれば、自分の選択した道順に沿って周りの意見よりも自分の五感と直感を大切に生きているということにも繋がる。 ただ自己肯定の低さを認識しているということは、どこかで何かに依存しているものがあるはずだと。そういう思考までは分析できてもその先はまるで自分でも触れたくないかの如く、蓋を閉め切ったまま自らもそれ以上詮索しなかった。だから、私は人と常に60%のパワーで付き合っていくことを心がける。もしかして、この比率を間違って、相手に対して愛着を持ってしまい90%のパワーで接してしまったらとか、その先の自分のリアクションも把握が出来るから、私は一人でいるということも...分かっているんだな。お前も大変だな。 ポストカードで別れの挨拶なんてずるいよ。ポルトガルの風景を切り取ったポストカードの裏には、たった数行だけだけどとても大きな愛情を感じてとても嬉しかったよ。この複雑な私の感情も過去も、全て認めてあげることができたらいいよね。ありがとう。    

母孝行

今日8月28日は、母が亡くなって19年目の命日なので、今日はなんの予定も入れず、ずっと母と対話しようと決めていた。私が唯一持ってきた一枚の母の写真と一緒に、今日は母の好きなビール(本当はアサヒビールが好きだけど)と、ケーキとお花を買いに出かけ、その途中でブログを書いている。 とにかく厳しくて、私の意思を全く無視してスカートを履かせ、大嫌いな女の子の服を着させたかった母に、毎日反抗し、家を出た後、近所の公衆便所で自分で選んだメンズライクの服に着替え、帰宅する頃に、母の指定したスカートルックに着替えていた。毎週スナックに通う母に付き添い、そこでいつも大量の小魚スナックとラムネを与えられ、母が楽しそうにオカマのママと談笑しているのをパジャマのまま見ていた。 そんな11歳の夏休み最終、母を亡くした時も一切涙は流れず、ただただ感情の発散方法がわからず、通常通り、なんでもない学校生活を送っていた。 時間が経つにつれ、母がいないことに対してやりきれない後悔と虚しさを感じ、それと同時に今まで母に全ての行動を縛られていた分、解放された犬のように私はどんどん野生化していった。この何十年か、私は母の死に対して、ただ自分の寂しい思いや、悔しさ、許しを請うような感情を剥き出しにするばかりで、30歳になるまでしっかり母親と落ち着いて対話をしてきてこなかった。 ベルリンに来て初めて、ようやく母の写真をじっくり眺め、母が好きなビールを一緒に飲んでいる。母が生きていたら、きっと私は結婚し、幸せな家庭を作っていただろう。それも全ては母の作戦だから(笑)。ごめんね、作戦通りにいつも動く子供じゃなくて。 ただ、母は純粋に私に安全な暮らしを与えたかったのだと思う。母が生涯、望んでいた暮らし。母は、いずれ私と2人で暮らしたかったのだと思う。その願いも、もし現在生きていれば、恐らく母は高所恐怖症なのでベルリンまではついてこれなかったんじゃないかなと思うと、霊魂となって自由自在に動き回れる分、母も今の方が人生楽しいんじゃないかなと思ったり...。 たまにクソ真面目な自分の性格が見えた時に、今でも私がやること成すこと、全部母に操作されていたり。なんて想像して「もうやめてー」と思いながらも、いつも守ってくれてありがとうと思っているよ。 今までネガティブな感情飛ばしまくって泣いてばかりでごめんね。私はもう自分を許すことにします。まだまだ時間はかかるけれど、今後は何かの形で、あなたに関しての作品を作れるようになりたいです。あと、結婚は期待しないでね(笑)。

継承やギフト

今日、アパートにAIR MAILが届いた。いつも寄稿させていただいている「SHIFT magazine」からだった。ベルリンに来て以降、自分宛に届いたものは役所関連の通知や、不動産の管理会社しかなかった為、とてもドキドキしながら、普段は雑に破って開封するけれど、ハサミを使って丁寧に開封した。中には、同じくSHIFTの寄稿者でもあり、アートディレクター兼写真家のVictor Morenoの写真集だった。写真にはSonic YouthのLee Ranaldoや、Ariel Pinkなど、世界で活躍するアーティストや写真家、映画監督のポートレートが載っていた。 なんて粋なサプライズなんだろう。まだ、メールの文面でしかやりとりをした事がなく、そんな私に対しても丁寧に対応していただけるなんて。しっかりお礼の手紙を書こう、来年日本に帰った時には必ず会ってお礼がしたい、そう思った。 また、先日は定期的に連絡をくださる東京の尊敬する恩師の方から温かいメッセージを頂いた。東京で知り合ってから、ディープな世界を体験させてくれたり、私の為になる知識を沢山くださる方。いつも甘やかされて、頼りきってしまう弱い自分でも嫌な顔せずに見守ってくれる方。 私が日本からお世話になっている憧れの先輩たちは、嫌味一つなくサラッと相手が喜ぶようなプレゼントや贈り物をしてくれる。それは、ただ物質だけの意味ではなく、継承であったり、経験というギフトを与えてくれる。これは本当に贅沢なことで、私はそんな大人たちを見て「私もこんな大人になりたい」と、改めて思った。 「人は忘れる生き物だから」「生きるということは、忘れるということ」 ある脳科学の書籍で読んだ記憶がある。人間はいい記憶ほど忘れてしまうし、嫌な記憶ほど脳の中で何度も繰り返しリピートしてしまう。ただ、終わってしまった恋愛となると不思議なことに、悪い思い出ほど忘れてしまうし、彼のいい面ばかり思い出してしまう。...なんとも酷なことだなと思う。 人から与えられたギフトは、絶対に忘れないように、一つ一つ大切にノートに記録する。損得勘定で動いているのかとかそんなことではなくて、人って結構こんなに親切にしてもらった事でも忘れてしまう生物だから。そう思いながら、昔の自分ではあり得なかった程、ノートには感謝の言葉や前向きな言葉が増えていく。 ベルリンに来てからというもの、毎日が目まぐるしく、正直何一つ上手くいった試しもないし、正直今でもなんとかやっています状態だけど、日本にいたら絶対に感じる事が出来なかった感情や体験ができていることが、何よりも嬉しい。前衛的に動く周りの尊敬する人たちは、みんな40代だったり、それ以上の方も多い。「あなたは歳を重ねるごとに魅力的になっていくね」と言われるように頑張ろう。

逞しくなる

先日、ベルリンに来た友人が「逞しくなったんじゃない?」と声を掛けてくれた。ドイツに来て2ヶ月が経ち、早速大阪にいた頃の友人に会えた嬉しさと、どこか今まで肩の力が入っていた部分がするっと解れたことで、単純だけど泣きそうになった。 正直、既に何回か日本に帰りたいと思ったこともあるし、自分がなんのためにベルリンへ来たのか軸がぶれることが何度もあった。本来はアイスランド音楽が好きで、ドイツを選んだ理由は「過ごしやすさ」と「夢の実現のための通過地点」で選んだ土地だった。ベルリンのカルチャーも勿論大好きで、暮らすのであれば、現地のリアルな音楽シーンやメディアアート分野ももっと知りたいなと思っている。だけど、本来の自分のなりたい人間にそう簡単にはなれないわけで、その中で何を優先すべきか選択する場面が重なると、あれ?自分って何の為にベルリンに来たんだっけ...と、目的を見失いがちになる。お金も維持しなきゃいけないし、暮らす為には必要な手続きもしないといけない、言語も勉強しないといけない、人間関係も新たに構築したい、今まで日本にいたままだと全て「面倒臭い」と後回しにしていたことを今は一つ一つ道筋立てて継続していかなければいけない。改めて、私はとてもいい機会に海外に来たんだなと思い、泣きながら、失敗しながら、時間や経験をお金で買っている状態なんだと思う。 1年後の自分を覗いてみるけど、まだ薄くベールを張ったまま全貌は本人でわからず。ただ、日本にいる頃から「ああなりたい」「これがしたい」と言っていることは一つずつでも叶えてきているので、これからも定期的に今までの自分の行動をブラッシュアップして整理していきたいなと思う。

オーディオから離れて

最近になって、ようやくヘッドホンを装着しながらベルリンの交通機関を使えるようになった。それまではヘッドホンで有意義に音楽なんか聴いている場合では無かったし、終始聴覚を研ぎ澄ませ、どこで乗り換えるべきか1駅ずつ確認する必要があった。2ヶ月が経過し、住民登録や銀行口座の開設も終了し、ようやく自分の作業にコミットできる時間が出来たような気がして、なんだかちょっぴり嬉しい。以前勤めていたeイヤホンでは毎日イヤホンやヘッドホン、スピーカーに触れて、帰ってからも毎日新しい音楽を探し聴いていたので、ここまで自分が音楽から離れることがなかった。そんな話をしていたら、尊敬する恩師がスピーカーを送ってきてくれるらしく、本当に人からの支援で生きているんだなとつくづく感じる。ありがとうございます。 ヘッドホンを着けなくなってから、今度はフィールドレコーディングにはまった。SHURE MV88を毎日ポケットに潜り込ませ、街の音を録音したり、たまにドイツ人の男性から声をかけられた時や、酔っ払いの絡みまで、取り敢えず録りまくったのでいつか編集してポートフォリオとして記録したい。 オーディオから離れて、街の音に敏感になった。新しい言語が聞こえてくるのはとても楽しい(半分は嘘、理解できないストレスが凄い)。