documentary and culture magazine

歪(いびつ)なもの

もうすぐ4月になろうとしているのに、息が白くなるほどの外気の冷たさに、思わず仕舞いかけていたお気に入りのマフラーを取り出した。今日は曇りのち雨。天気予報を確認したにも関わらず、決まって折り畳み傘を忘れて外出してしまった。そんな時、いつも「まあ、いっか」とずぼらな性格は、昔から治らない。

すっかり見慣れたベルリンの街、一定間隔の距離を開けながら目の前を歩く人と歩幅を合わせる。足並みが揃ったところで、つい頭の中でTHE BEATLES「Abbey Road」のジャケット写真を思い出す。まるで、先頭を颯爽と歩くジョン・レノンの後をついていくリンゴ・スターのようで、思わずカメラを取り出し、後ろ姿を1枚頂戴した。

人通りのない街の中をイヤホンをしながら歩くのが好きだ。今日はTom Waitsのアルバム「Closing Time」を聴きながら、すれ違う人もまた、イヤホンを着けているのを見かけて、その人が今何を感じてこの瞬間を生きているのかを少しだけ想像してみたりする。

14時過ぎ、友人宅でコーヒーを飲みながら窓の外を覗くと、まるで春に舞うポプラの綿毛のような大きな雪の粒が舞っていた。思わずベランダの外に出て大きく身を乗り出して空を見上げる。冷たい、というよりふわふわと肌に馴染んで気持ちが良かった。腕を虫取り網のように大きく横に振って、綿毛のような雪を捕まえる。服の裾にどんどんと積もってゆく様子が楽しくて、無我夢中ではしゃぐ私を見て、友人が部屋からタオルを持ってきてくれて、しょうがないなと、笑いながら私の頭に積もった雪を拭った。

ベランダから下を覗くと、自転車で走るおじさんの服の前だけ、雪がびっしりと積もっていて、リバーシブルになっていた。その光景に笑顔になっている通行人の姿を見て、なんだか泣きそうになった。今この瞬間全てが愛おしくてたまらなくて、全然寒くなかった。

私はなんでもすぐに感情的になってしまう。マイナスに働くことも沢山あるし、生きているうちで損することだって沢山ある。この性格で生きづらさを感じることも数えきれない程ある。ただ、人よりも感情の振り幅が大きいということは、幸せだと感じた時の振り幅も二倍だということを理解すると、「これが私らしさなんだな」と思える。

今日見たベランダからの雪は、今まで見た雪とは全然違った。歪な形をしていて、服に張り付いた結晶は潰れてすぐに水に変わってしまってずぶ濡れになった。でも私にとっては、今まで見た雪の中でもとりわけ美しかった。歪な形というのは”自然の形”なんだ。歪というのは”素朴”なんだ。降り注ぐ雪と自身を照らしわせて、ありのままでいることはどんなに着飾ったものよりも美しいことなんだと私に教えてくれているかのようだった。

結局、たった一時間で雪は止んでしまい、ベルリンの街に雪が積もることはなかったけれど、今日一日を名一杯感じて生きることが出来た私を誉めてあげたいと思った。一日一日、その瞬間に感じたことを大切に、目一杯生きる。


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