Category: Blog – daily
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扱いづらさを持つ
題名の話は後半に回すとして、昨日は日本にいる時から憧れていたKana Miyazawaさんのお仕事に同行させていただき、あるメディアの取材風景を見学いたしました。前日は変に緊張してしまい、軽いアシスタントなだけなのに何かをシュミレーションしながら、変に構えていました。結果、当日の現場では終始和やかなムードで、ビールを飲みながらインタビューをするKanaさんとキエフから来た「Closer」のフィメールPRのAlisaさんを記録していました。初めてのロケハンだったので、カメラマンのSakiさんの動きや、取材への姿勢を目の当たりにして、とても貴重な経験となりました。 題名について、私は以前より一貫して「扱いやすい」だけの女性にはならないように心掛けている。親しみやすさは、人間関係の構築には必要不可欠なものだが、女性らしさも兼ね備えながら、一筋縄ではいかない「芯の強さ」は決して失わないようにしたい。 私が憧れる働く女性は、背筋が伸びていて美しい。少女と大人の女性の中間地点にいて、だいたい「なんだか魅力的だな」と思う人って、決して「扱いやすい人」ではない。その人らしさがあって「絶対的なもの」を持っている。妥協を許さず、人としての美しいを表現できる人は問答無用でかっこいいなと思う。 今週末は引っ越し。しばらくは体力温存しておこう。
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長い靴擦れとの戦い
実は6月21日で、ベルリンへ来て1ヶ月が経過することになる。「DB遅延問題」「初日ホームでホームレス体験」のあの日が懐かしい。ここ毎日が怒涛の日々で、1ヶ月経ったからこそ振り返ることが出来るものもある。 実は渡独当日の5月20日、叔母と友人1人が早朝の関西国際空港まで送り迎えしてくれた。スーツケース1個とバックパックに生涯の荷物を詰め込んで、まさかの移動中にスーツケースのタイヤが1個欠損。そして1人で32kgもの荷物を抱えて移動しないといけないことをすっかり忘れて、空港到着後に後悔するという初日から”段取りの悪さ”を発揮。 日本出国の日、早朝早く見送りの時間に余裕はなかったため、入国ゲートの目の前で最後に交わした言葉は「じゃ!」の一言のみ(今考えたら軽すぎる笑)。 最後に叔母から「最後に抱きしめさせて」と言われたときは悲しくは無かったけれど、入国ゲートを通り、一人飛行機の到着を待つ間で、今まで頑張ってきた感情が爆発して泣いてしまった。気を張って背筋が伸びていた分、一人になった瞬間の安堵感というか緊張がほぐれた後に今までの恐怖が一気に湧き上がってきて、最後にもらったコンビニのおにぎりを食べながら静かに泣いた。 叔母はそのあと、友人と即別れ、一人空港のトイレへ消えていったらしい…。友人には申し訳ない(笑)。叔母も私も目の前では泣けない頑固なタイプだから。 この新しい革靴を履きこなせるまでの「長い靴擦れとの戦い」の時が一番辛い。土地に関しては馴染みやすいけど、まだやっぱり不便が多いし、無知である自分に落ち込むことは日常茶飯事である。プライドの高さなんてここでは無駄なものだし、今までにないくらい「勢い」で行動してる感が凄い。そりゃあ手続きや生活に必要な情報源の収集は念入りにするけれど、頭だけで考えて「不可能」を決めつけなくなった。なんだったら英語も大して話せないくせに、現地のアーティストに取材をしてみたり、怖いと思ったものでも取り敢えずぶつかっていくほどにはメンタルが鍛えられているのかもしれない。 「腹をくくる」状況にならざるをえなくなった時、いままでは予算、時間、現実とを考えた上で、それでもなお「クオリティの高いもの」を求めて動いていたけれど、今は全てにおいて新しい試みなので、先に先方には「失敗します、ごめんなさい!」と伝え、自分の外野にあるものに関してもカッコはつけずに正直に生きようと思うようになってきた。だからといって、自分にとって利益になりそうな機会の時は、結構「できます」といった後から焦ること多数。ベルリンに来て直感力が鍛えられてるな〜と感じる。 1ヶ月間だけでも、今のベルリンがとても成長期にあることがひしひしと感じ取れる。きっと、またこの1〜2年だけでもかなり状況は変化すると思っている。もしかしたら自分自身もベルリンにいないかもしれない。今全て変わってしまう前に、行っておきたいところや見ておきたい景色、沢山足を運んで行こうと思った。
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ETHE REAL
先日ベルリンで開催されていた「Performing atrs festival 2019」のパフォーミングの一つでコンテンポラリーダンス「ETHE REAL」の公演を観に行った。詳しい内容については後日記載するとして、私は初めて至近距離でコンテンポラリーダンスを鑑賞し、まるで彫刻やスカルプチュアを学んでいるような感覚であっという間の1時間だった。夢と現実の中間地点で、シーンはある男女のやりとりから始まって、夢の中で囁く悪魔の歌声、昆虫同士の食物連鎖や向こう側の世界との対話など。シーンは目まぐるしく変化していったが、初心者の私でもその世界観に入っていくことができたのでとても楽しかった。 文章にすることはまだ慣れていないので、これからしっかり勉強していこうとおもったが、コンテンポラリーダンスは理解するといった切り口で観るのはなんだか違う気もする。観にいくことはとても勇気がいったことだし、これで演者側の思考が理解できずに終わってしまったらどうしようと思ったが、恐らく今回観たパフォーマンスは観客から笑いが起きる場面もあり、まだカジュアルライクに感じたので、とてもいい公演に巡り会えたんだなと思っている。 その中で、特に気になったアーティストがStefano Ciardiという舞台音響を担当している方で、どうしても作中の音楽が頭から離れずに、執念で彼の名前を割り当て、実際にアポイントメントを取ってみた。 過去10年間、彼は演劇とコンテンポラリーダンスの世界で活動していおり、彼自身音楽活動もしていたそうなのですが、現在は舞台音響に力を入れているという。彼に「あなたの音源はどこにもなかったので、もしvinylやCDがあるのなら販売してほしい」と伝えると、「私的に音源はお渡しすることはできます。ただ、私が作っている音楽は芸術的要素は勿論、そこにドラマツルギーも関わっていないといけません。なので、音源だけで聴くことと、舞台でダンスとともに聴くということは捉え方が違ってきてしまう。他のプロジェクトとして、音源はいつか世間に公表したいとは思っているよ。」と返事が来た。 彼の考え方は非常に職人的で、さらに今度会って直接当日の舞台のことから音楽に対しての考え方など聞く機会を設けてくださるということで、ちょっとビビっていながらも、チャンスだし、また書き起こして記事にしたいなと思う。 最近海外の人と話す機会も増え、個人的にはまだまだ小学生よりも文法が汚いながらも、一生懸命に話すことだけはなんとか伝わっているみたいで安心した(笑)。ニューヨーク、スペイン、様々な方が話す英語に早く慣れていこう。
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Görlitzer Parkから見えるベルリンの変化
ベルリンで毎年開催される「Labour Day」と呼ばれるメーデーには、クロイツベルクにある一帯で大々的なパレードが開催されるそうで、すでに時期は過ぎているが観光がてらGörlitzer Parkという公園へ連れてきていただいた。 ここでは毎年かなりたくさんの人が集まって、公園や広場には本格的なステージやDJブースが設置され、爆音で流れる音楽とともに踊り狂う群衆で埋め尽くされるそう。 ただ、このパレードも年々変わってきている。毎年規模は縮小され、警備もさらに強化され、昔より騒音問題に厳しくなった分、以前のような「クレイジーさ」は無くなってきているとのこと。 クロイツベルクの街並みを少し散歩しただけだが、至るところで建物の解体作業や建設が進められており、物価が上がってしまった影響で有名なクラブハウスやライブハウスが次々と閉店したり、移転している場面が多く見られる。昔からここで暮らし、音楽が好きでこの国を選び移った人たちは、「やばいことになっている」と口を揃えて言う。 以前と違って、パレードが商業化してきていることには間違いなさそうだ。 なんとなくこういう話を耳にすると、私たち移民のせいなのかなと、全く関係がないとは言い切れない部分もあり、複雑な気持ちになってしまった。 1つブロックを跨ぐと黒人がドラッグを売りさばく風景が日常的だけど、別にずば抜けて治安が悪いわけでもない。ここに来て数日しか経っていないが、恐らく今はイギリスやフランスの方がうんと治安が悪いように思える。 これからオリンピック開催による経済効果を大きく期待している日本の方が、もしかしたら「やばい」んじゃないかと話しながら、まだベルリンは平和なんだと思った。
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仕事ができる人
ベルリンに到着して2日目が経過。ただ変なのか、海外へ来たと言う実感がまだ湧かず、恐らく現地の暮らしらしい暮らしもしていないからだと思う(働き始めたらまた変わるだろう)。 「note」には簡単に書いたが、ベルリンへ着くまでの道のりは決して簡単ではなかった。 ドイツICE(DB)での遅延問題/返金処理方法 https://note.mu/ari_matsuoka/n/n388316c6b6be とんでもないハプニングで精神的にも身体的にも疲労がMAXだった私に、日本へいた頃から連絡を取っていたベルリン在住の日本人のShuheiさんから「今日は休みだから携帯のSIMカード購入やICEの返金処理の手続きなど付き添うよ」と連絡をいただき会うことに。 まだ携帯のSIMカードをGETしていなかったので、neukellon駅で待合せするにも結構ハードだったが、とても優しく迎えてくださり、まずはSIMカードの購入しに、Alexanderplatzの家電量販店まで行くことに。無難にvodafoneのSIMカードを契約し、パスポートを提示し無事に購入完了。電話番号は好きな番号を選ぶことができて、GBをオーバーすると、今後はプリペイドする方式らしい。 ドイツ語が堪能なShuheiさんと一息つくため、近くのカフェへ行き、そこからメインのICE問題を解決しにインフォメーションまで。こっちの役員や駅員は本当にまだベルリンに来て2日目の私にとってはかなり強者揃いで、かなり強気な態度でふっかけられるのは当たり前。日本のサービスとは全く違うというのを身をもって体感した初日でした。Shuheiさんがドイツ語で20日の経緯を説明してくれる。何度も書き直し、なんとか50%のキャッシュバック、22.45€を手に入れることが出来、達成感でほっとした(100%、Shuheiさんのおかげ)。 諦めずに何度も交渉してみると、対応が変わったり変わらなかったり、その日の気分で変わるということも身をもって感じた。 鉄道の手続きがメインだったので、ようやくここで一息Wedding地区へ向かう。Shuheiさんの目当てだった中古機材が揃う店を見に来たはずが、トルコ人が経営する小さなリサイクルショップで目当てだったスピーカーはさっき売り切れてしまったそう(奥にはシーシャが沢山並べられていた)。 諦めて、シュプレー川の奥にある「Cafe Pfortner」へ。朝は9時から夜11時まで、カフェやディナーを楽しめる「廃車バス」を改装して作られた親しみのあるお店。外はもうすぐ6月なのに12〜13℃程と肌寒かったのでホットココアを注文(2.5€)。金額もまだ良心的。写真のレンガ造りの建物とバスが併設されていて、自由に席をチョイスすることができたので、迷わずバス席を選択。Shuheiさんも「ここ来てみたかったところだったんだ」と携帯で写真を撮って、二人で「映えるよね」とニヤニヤしながらゆっくりお茶をした。 日本の広告と大きく違う点は、「公的な広告が多い」というところ。日本だと有料広告ばかりで気が滅入ることが多いが、ベルリンではパーソナルなイベントポスターだったり、民間で制作しているポスターが多く、ただデザインのスオリティがどれも高く、歩いてみて初めて知るイベントやポップアップが多い事に気づく。ここでは、自分から足を運んでコミュニティを広げない限り生まれないものが多そうだ。 私の「WEEKDAYに行きたい」というわがままで、Neue Schönhauser通りにあるWEEKDAYへ。ここは2015年、前職eイヤホンでドイツ視察に来た時に通った場所だ!と、なんだか嬉しくなりながら、ここでは10€の安いニット素材のタンクトップを購入。 「ちょっと変わった建物を見せてあげるよ」と次に案内してくれたのは、まだドイツが西と東に分断されていた頃に建てられたであろう老朽化が進んだ建造物。窓は割られて無くなっているのか、それとも元から無いのか、やけに周りの建物が綺麗に建て替えられていて、余計に存在感が際立っていた。 「軍人はみな殺人鬼だ」と書かれた壁に、ウォールアート。ベルリンは毎日忙しなく変化し続けているし、ここ4〜5年でも随分と移民が増え、建物も次々と取り壊されているらしい。この建物が無くなってしまうのももしかしたら時間の問題かもしれないなと思った時、持ってきたFUJIのカメラで景観を映した。 やっぱりみんながみんな、ドイツが好きで住んでいる訳ではなく、何かしら理由や事情があってこの街に馴染もうと一生懸命に行きている人も多い。私自身も、ドイツに来たからといって毎日遊んで終わる1年にはしたくないし、友人からは「羨ましい」と声をかけられる事も多いけど、きっとこれから3年、5年、いや、もっとそれ以上の年月をかけてようやく「なんとなくこれでいいのかな?」になるんだと思う。 初めて食べるベルリンでの晩御飯は、カリーブルストでもなく「ファラフェル」というベルリンでも有名なヒヨコ豆のコロッケをサンドしたアフリカ・スーダンの料理。「Sahara Imbiss」はイートインも出来て、何よりスタッフがチャーミング。 「どこから来たの?」という問いかけに「日本」と答えると、「僕もそうだよ!」と言われた事がクスッと来た。 ファラフェルは、近年のヴィーガンブーム(多国籍文化のため)によりとても人気があって、かなりボリューミーなのにたったの3€ほど。 分かってはいたが、食べきれなかったので、ここで初めて「ein packen bitte(包んでください)」というドイツ語をShuheiさんに教えていただいた。今後、かなり使うと思う(笑)。 ベルリンは夜21時を回っても薄暗い程度。行動時間にゆとりが持てる分、つい時計を見ることを忘れてしまうほど。 最後に「さくっと飲みに行く?」ということで、行きつけのお店に連れて来ていただいた。私が知り合った方には、いつも「行きつけのお店に連れて行ってください」とお願いする。 「nathanja und heinrich berlin」は、Neuköllnのいわゆる飲屋街から1ブロック外れにある、地元民で賑わうバー。水曜日の21時過ぎでこの繁盛ぶり。ここでようやく初ビール、昔ながらの南ドイツビールが冷えていて美味しかった(※ドイツのビールは常温で出るというのは違って、ちゃんと冷えてました)。 そこでShuheiさんの友人2人がたまたま合流し、4人でお酒を飲むことに。 それぞれのバックグラウンドは分からなくても、とても話し口調が魅力的で、またベルリンに来て2日目の私にも親切にしてくださった。この街の飲食事情や、昔遊びに行ったローラースケートイベントの話等、話し込んでいるうちにあっという間に23時に。 携帯の電源が残り1%しかなかった私(相変わらず懲りない)に対し、とても丁寧で分かりやすい手書きの地図をレシートの裏に書いてくださったMisatoさんに感謝。無事に迷う事なく帰る事ができました。 とても充実した1日で、帰ってすぐに伯母に嬉しかった事を報告。 まだ家探しや仕事関連も、やらなきゃいけない事が山積みのなか、一息ついてベルリンの楽しい、を教えてくだささった先輩方に感謝します。 やっぱり、仕事ができる人って「遊んでる人」だなと、改めて実感。異性間の遊びとか、そんな軽い話ではなく、体が丈夫で、休みの日も何処かに出かけていたり、ショートスリーパーでも平気な人。私の周りにはそんな30代、40代の方が沢山いて、毎日刺激をもらっています。
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受け継ぐもの
4月中旬ごろ、約2年ぶりに高知の母の墓参りへ。伯母と旅行へする機会も今後めっきり減ってしまうので、親戚も住んでいる高知へ行きたいと志願した。高知での旅はいつもハプニングだらけで、今回も高知駅から中村駅行きへ乗り込むはずが、特急岡山駅行きの電車に乗ってしまうというミス。気付いた時には既に電車は発車しているし、優雅にお弁当なんて買っている場合では無かったことに冷や汗と焦りが。田舎のあるあるで、電車を乗り過ごす・間違えることは致命傷なので、即座に切り返し方法を探した。 早く出発したお陰で、後免駅で降りた後すぐに高知駅へ引き返せば間に合う事を知り、ここでほっとして笑いが止まらなくなった。案内板も見れないし、親戚が書き記してくれた電車にも乗れないなんて。 私の本名は「有岡」という地名から来ているんだと、父から聞いたことがあった。自分でも今の名前はとても気に入っていて、初め「あり」という読みだったけど、母が「ありんこで苛められたらかわいそうやない」ということで「ゆう」という読み方になった。 母が眠るお墓がある真静院は名前の通り、有岡駅から歩いて15分ほどの静かな小山の上に建つ礼拝堂で、ここはいつ来ても姿変わらずシンとしている。いつもッ母の大好きなアサヒビールと、あたりめや甘納豆を買って供える。 母が生きていたら、今の私をみてどう思うだろうと考えることがある。いい意味でも、私は母が亡くなってから弾けた。心で抑制していたものがまるで「千と千尋の神隠し」に出てくるオクサレ様のように、勢いよく外で爆発した。やりたいことを端から全て手をつけては辞めて、学校も辞めたり、家出もした。 30歳になろうという時に、ドイツへ移住すると決断した私のことを、母はどう思うんだろう。本当は結婚して、子供を授かり、父や母へ親孝行出来れば良かったのかな。そんな事を当日、お墓の前に来るまでそう思っていた。 いつも手を合わした後、必ずと言っていいほど、私の周りで1匹の虫が飛び回る事がある。ただ、今回は飛び回る虫も、体に纏わりつくような煙も無かった。勝手ながら、いつもその影を母だと思っていたけれど、今回は姿を現さなかった。 きっと、寂しがっているのかな。私と似て、最後はいつも平然でいたがるもんね。ただ、いつも以上にその日は空が眩しくて、私の事を不安がらせないように影ながら応援してくれているのかなと思った。頑張るね。もう立派な大人だもんね。親からの離脱、集団からの離脱、ひとりで生きていく力を今年は身につけられるように。 そして無事に30歳を迎え、ありがたい事に色んな業種の上司やキャリアの違う先輩方、古くからの友人にも食事に誘っていただいたり、そこで様々な「継承」を受けた。誕生日プレゼントも兼ねて、というのもあるけれど、今回はドイツへ飛び立つ前ということで、物だけではなく、これからの道しるべになるような言葉や自分軸の作り方について、仕事とプライベートの向き合い方について、生き方全般について、たくさんの知恵を受け継いだ。 仕事で成功されている方や、自分をしっかり持っている人に出会う機会が増え、またその人に「もと自分に自信を持っていいよ」と言われることがとても有り難い。プレッシャーや重圧を感じながら、これから1年間はしっかりビジョンを組んで動いていきたい。