documentary and culture magazine

文を書くこと、映像を撮ること

Screamin’ Jay Hawkins「I Put a Spell On You」を聴きながら、誰も見ていない部屋で一人、無表情のまま踊る。ここ最近の私は、いつにいなくフリーダムだ。

Jim Jarmuschを介してScreamin’ Jay Hawkinsの存在を知ったという人は多いだろう。私もそのひとりで、20代の頃、レンタルショップで何気なくDVDを借り、初めて「STRANGER THAN PARADISE」を観たときの衝撃はいまだ忘れられない。音楽を愛する人なら誰にでも、その後の人生の方向性を決定づけるような衝撃的音楽体験というものがいくつかあると思う。私の人生のワンシーンの中で「I Put A Spell On You」との出会いは、少し多げさにも感じるが、まさにそういうものだった。

どうもこの曲の意味を探ると、女に捨てられた男の”恨み節”だそうだが、その音楽をアメリカに来た異邦人であるエヴァが、テーマソングかのように部屋でかけ流しながら無表情で踊っている姿がなんだかストレンジャーで記憶に深く残っている。作中のアメリカの風景も、白黒映画にするとそこがヨーロッパの街並みに見えてしまう不思議な感覚もまた新鮮だった。

ヨーロッパ、特にドイツの風景は白と黒が似合う。そんな自身の思いもありながら、最近は簡単だけど白黒で映像を撮ってみたり、この期間を使ってやりたいことをやっている気がする。

何かを表現したり、自分が持っている感情を形にすることは本当に難しい。いや、正確にいえば、思い描くものを形にする過程で、自分が思い描く理想と、今の自分が全力を出して表現するもののクオリティー(現実)のギャップに直面し、荒くて青い、ただのオナニーのような吐き出し物を本当に他の人の前に曝け出せるのか、というところで手が、足が、思考が止まる。

アーティストとして活動している人たちにとって、日々、いかに「今この時の、ありのままの自分を受け入れ、表現できるか」という場面で戦っている。私は文章を書く人間として、先日、初めて人に自分が’作った”ありのままの映像”を公開し、その時点でひゃ〜となっている芋野郎だ。作品を生み出すということは、生半可な気持ちでは出来ない。自分の感情に正直に生きるということは、それ相当の覚悟がいるだろう…。そう思っている私にとって、心からアーティストとして生きている人たちを尊敬した。ただそれと同時に、自分も表現者(文筆)として、映像作品を作るという違った形で新しい経験が出来たことは、今後アーティストの方へ取材する上でとてもいい気付きになった。だから、今後も映像は撮り続けたい。もっとブラッシュアップできるように、ゆっくり、ゆっくり深めていきたい。

文を書くこと、映像を撮ること、表現方法は違えど同じこと。

自分の為にやってきたことが、いつか周りの為になることを願いたい。


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