人生で、どれほど本気の人間と出会ってきただろう。というか、本気でぶつかり合いたいと思える人間と出会えることが、人生で一体何回あるだろう。
過去、私に対して本気でぶつかってきてくれた人は数少ない。これまで自分のことを大事に出来ず、今思うと、その人達は私以上に私のことを想い、どこへ飛んでいくかわからない風船みたいで心配で堪らなかったんだと気付く。血の繋がりのない赤の他人に対してここまで本気でぶつかってきてくれる人は、限られた時間の中でそうそう出会えるものではない。
ぶつかり合うとは、結局は相手をどれほど信じているかということ。
”ぶつける”と”ぶつかり合う”という意味が混在しているうちは、なかなか人とのコミュニケーションも難しく考えてしまいがちだ。感情に任せ、ただただ破壊的にぶつかることは簡単でも、それでは相手との関係を築くことは出来ない。その場ですぐに結果が出ない場合が分かっていても、流動的にものごとをポジティブに捉えることが出来、相手とのこれからを見ていきたいと願うのであれば、建設的にぶつかることが出来るだろう。
これらは、私にとって一番避けてきたことであり、人とぶつかり合うなんて怖くて出来ないと思ってしまう性格だ。
では、言葉を変えて”こだわり合う”だとどうだろう。
ぶつかり合うよりは、こだわり合うと捉えた方が随分と気が楽になった。関係を一度も壊さずに大切にできれば一番いい事なんだけど、一度壊れたものを修繕したり、強化したりするほうが、愛着を持てたり、長く愛したいと思える気がする。相手の気持ちを尊重すると同時に、自分の気持ちを尊重できることが大切で、私はもっと保身に走らず、在りたい生き方に近づけるようになりたい。
相手に対してエネルギーを注ぐことはとてもパワーのいることで、本当は面倒だし疲れること。だいたい恐れているものは、自分の思い込みだったということが多い。ただ一方通行で相手だけがエネルギーを消耗してしまうような力関係にならないように、私はもっと自立しないといけないね。相手と本気でぶつかることが出来たなら、きっとそれは自分にとっての自信に繋がるはず。