documentary and culture magazine

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ARI MATSUOKA

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イギリスのインディペンデントカセットレーベル「INDUSTRIAL COAST」が発信するアンダーグラウンド

身の回りにあるものがどんどんアナログからデジタルへ以降されていくなか、2017年頃より再びブームになっているものが”アナログ音源”だ。 特にヨーロッパの人々は、未だに愛車のカーステレオでカセットテープをたしなみ、お洒落なカフェでは有線ではなく、店員がセレクトした聴いたことのないガレージバンドの曲がレコードプレイヤーから流れてくる。いわゆる、Apple MusicやSpotifyのようなデジタルコンテンツはあくまで”試聴用”として利用し、気に入った音源はフィジカルとしてコレクトする。 「アナログのいいところは、試聴者側が音を鳴らすまでの ”所作” にある」と、以前MAKOTO SAKAMOTOのカセットアルバム「Reflection」のレビューを書きおこした頃にも語ったことがあるが、アナログを愛する人は、音楽と向き合う本当の楽しさを知っている人が多いように思う。 イギリスに拠点を置くインディペンデントカセットレーベル「INDUSTRIAL COAST」は、コロナウイルスによる厳しい状況の中でも、毎日ユニークでクールなフィジカルリリースを実現してきた。パンデミック以降もリリースニュースは絶えず、日々SNSでのポストが絶えないアクティブな姿勢は、恐らくヨーロッパで最も活動的なレーベルだったに違いない。 今もなお、カセットテープでのリリースにこだわる理由とは。アンダーグラウンドが持つ独特の魅力とは何か。 レーベルオーナーであるSteveに話を聞いてみた。 INDUSTRIAL COASTについて教えてください。 INDUSTRIAL COASTは、2018年11月に始動しました。 普段の仕事以外で何か面白いことをしたいと思っていた頃、僕はポルトを訪れ、Saturn and The Sun (Joachim Nordwall / Henrik Rylander) とJohn Duncanによるギグに参加したんだ。Joachimは、僕が「iDEAL Recordings(Joachimのレーベル)」の大ファンであることを知っていて、親切にギグ前日のディナーに招待してくれて。ディナーが終わった後、彼は僕に「君も自身のレーベルを作ってみたらどうだ?」と提案してくれたんだ。その後、イギリスに帰ってレーベルを立ち上げるまでにそう時間は掛からなかったね。 現在イングランド北部に拠点を置くこのレーベルは、僕と共に日々進化しているよ。もともとはアンダーグラウンドに活動するアーティストを発掘し、カセットテープでのフィジカルリリースをサポートする活動をメインにしていたんだけど、レーベルが成長するにつれて、世界各地で注目されるアーティストにも声をかけるようになったんだ。参加アーティストを幅広く扱うことで、まだあまり知られていないアーティストのリリースも認知されるようになるというのが目的だったんだ。 僕のレーベルは基本的にルールは無くて、自分が好きなアーティストや音楽を取り扱っているかな。ただし、政治的主張を流布するものは取り扱わないということがこのレーベルのルールかな。これまでにかなりのノイズミュージックをリリースしましたが、その他にもテクノ、ブラックメタル、コールドウェーブ、ドローン、ダブ、ドラム、ベース等、2020年11月で2周年を迎え、ありがたいことに総リリース数は100を超えたよ。 創設から約2年で既に100リリース超! 物凄いスピードですね。生産からリリース、プロモーションはSteveが一人で行っているのですか? このレーベルは僕が一人で運営しているよ。ただし、製作や印刷は専門的なスタッフに任せてるかな。 アートワークに関してはアーティスト側で用意されたデザインをレイアウトして使用することが殆どだけど、より良い商品を作るために、依頼者と密なコミュニケーションを取りながら、小さなネットワークを介して、知人のアーティストにカセットテープのデザインやレイアウトを依頼しているんだ。うちで生産を依頼してくれたアーティストは仕上がりを見てとても喜んでくれるんだ。アーティストだけでなく、購入者が受け取ってワクワクするようなものを作ることがとても楽しいね。 僕の主な仕事は、ウェブサイト、ニュースレター、Instagramページ(僕たちの唯一の広告)を運営しながら配送管理をしているよ。幸いなことに、コロナウイルスが流行する前から自宅で作業をしているから、コンピューターの前にずっと座って音楽を聴きながら仕事をこなしつつ、レーベルにフィットするアーティストを発掘する毎日を送っているよ。 アーティストの個性やカラーに合わせてノベルティーも制作してくれるなんて、小さなレーベルだからこそ出来る心配りで素敵だなと思いました。今なおイギリスでもコロナウイルスによる厳格なロックダウンが実施される中で、INDUSTRIAL COASTのリリーススピードは緩まるどころか加速しているように感じます。世界で起きている現象について、Steveはどう考えていますか? 生産に関して、僕自身、自宅から外に出て角を曲がったところにある小さな郵便局にテープを郵送するために出向くくらいで、実はそれほど影響は受けていないんだ(笑)。 パンデミックによるレーベルの売上に関しては、第一波はなんとか乗り越えたんだけど、第二波では減少している。ただ、これは予測できていたことで、世界中の人々に今一番必要なことは、自身の生活や健康を第一に優先することだと思ってる。僕たちが、自分自身の心を身体の声をありのまま受け止めるころが出来たら、きっと他者に対しても、本当の意味で思いやることが出来ると思ってるんだ。この危機的状況は、僕たち人間にとって大きな気付きになったことが沢山あったような気がする。だからこそ、僕たちのレーベルを応援してくださっている人たちには心から感謝しているよ。だからINDUSTRIAL COASTは絶対に臆しない。僕は僕自身の出来ることを全うするだけだよ。 カセットテープのみの生産に拘る理由を教えてください。 まず、手頃な価格で生産ができるというところは魅力の一つだけど、何よりカセットテープが非常にファニーで優秀な一つの広告だということ。君だって、手のひらサイズに収まるアートワークやジャケットデザインを手にとって眺めるだけでもワクワクしない? デジタル音楽のコンテンツは沢山あるけれど、僕は新しい音楽を探すこと以外で使うことはなくて、好きな音楽を見つけたらフィジカルで手元に残しておきたいタイプなんだ。 音楽にとってアートはとても重要存在で、その逆も然り、僕たちが生産したカセットテープはその両方を楽しんでもらえたら本望かな。 2020年は一回だけレコード盤でのリリースも実現したんだ。今後も要望や企画次第ではやるかもしれないけど、今のところはカセットテープメインで拘っていくつもりだよ。 アナログはデジタルよりも冒険に富んだ素晴らしいメディアですよね。フィジカルリリースは、アンダーグラウンドで活動するアーティストにとって一つのモチベーションになるんじゃないかと思います。特にカセットテープは、ノイズやパンク、エクスペリメンタルなど、破壊的でアバンギャルドな躍動をそのままリアルに再現出来るような気がします。では次に、Steve自身のことについて教えてください。 現在、52歳。僕が初めて音楽に興味を持ち始めたのは10~11歳の頃で、当時、初めて買ったレコードは70年代後半のパンクバンドのものだったよ。 10代前半で僕はギグを始め、メタルに夢中になったんだ。当時、Motorhead、Black Sabbath、AC/DCのようなビッグアーティストが2,000人規模のライブ会場でプレイしていた頃に、全てのライブを観に行ったよ。 次第にテクノ、ドラムンベース、ノーザンソウル、C&W等、音楽ジャンルを縛ることなく自分が好きな音楽を聴くようになったかな。現代のノイズは、私が若い頃に聴いていたパンクやメタルのような反骨精神が詰まったものというよりも、より実験的な要素が強調されているように感じるね。 では、あなたの好きなアーティストを3組教えてください。 3人のアーティストを選ぶのは、なかなか難しいね! このような質問を投げかけられた時、僕はいつもThe Redskinsの名前を出すんだ。 彼らは、80年代半ばに『Neither Washington…

Furozh Interview “SAY NO TO RACISM WE ARE ALL HUMAN”

Interview: ARI MATSUOKA Date of interview: 14 July, 2020 現在、ニューヨーク House, ambient, down tempo, traps… Furozh, a producer and founder of @offthescene_ in New York, who can change the music style flexibly and make it listen like a DJ mix. New York, where divisions and disparities were revealed by the Coronal Eruption. We interviewed him…

プカプカ

先日、ベルリンに住んでいて初めて湖に行った。 その日は6月だったけど気温は31度と夏日のようで、人生で初めてタンクトップ一枚で外へ出掛けた。逞しい二の腕をしているので、これまでキャミソールやタンクトップで周りの目を気にせず外出出来る人が羨ましかった。でも、この一年でいい意味で無駄な羞恥心も消え、他人の目を以前より気にしなくなってから、よし今だと腕を出して外に出た。たったこれだけのことなのに、私にとっては結構なチャレンジだった。海外に出てくる勇気があるのに、タンクトップを着て外を出歩けなかったなんて、ヘボくてなかなか言えなかったんですよね 。 電車を乗り継ぎ、湖の辺りまで徒歩も合わせて約2時間。Liepnitzseeという森の中の湖へ。 ベルリンの都心部にも遊泳できる湖は多いみたいだけど、その日は夏日。皆、きっと考えていることは一緒に違いない。小旅行気分で、1時間も電車に揺られていれば沢山の自然公園と出会える。そんなベルリンも、ようやく滞在1年目で知ることが出来たので単純に嬉しかった。 砂場に到着するなり、早速服を脱いで水着姿になる。水着で日光浴なんて、何年ぶりだろう。粒が細かい砂が指の間をさらさらと抜けて、10歩先の湖では水飛沫がキラキラと反射していてとても涼しそうで。 夕方5時頃、しばらく日光浴を楽しんだあと、水温が低くならないうちに泳いでみようよと湖に向かった。水は冷たかったけどめちゃくちゃ気持ち良くて、でもあっという間に足の届かない場所まで来てしまって、ビビリな私は岸の方でプカプカと浮かんでた。背中を水面につけて、空を見ながらただ漂うだけだったけど、自粛期間も少し明けたところ、いいリフレッシュが出来た。 多分20分くらいはプカプカ浮いていたと思う。体が冷えたところで再び砂浜に戻って、ただ横になってぼんやりする。紛れもなくバケーション、小学生の夏休みのようなひと時だった。 特にオチがないただの日記だけど、こんな感じで何も考えずに日帰り旅をしたことが嬉くて。 夏の時期にベルリンに来ることがあるなら、是非湖にピクニックもプランに入れて欲しい。日本の家族が来た時には、是非連れて行ってあげたいと思った。

”ぶつかり合う”と”こだわり合う”

人生で、どれほど本気の人間と出会ってきただろう。というか、本気でぶつかり合いたいと思える人間と出会えることが、人生で一体何回あるだろう。 過去、私に対して本気でぶつかってきてくれた人は数少ない。これまで自分のことを大事に出来ず、今思うと、その人達は私以上に私のことを想い、どこへ飛んでいくかわからない風船みたいで心配で堪らなかったんだと気付く。血の繋がりのない赤の他人に対してここまで本気でぶつかってきてくれる人は、限られた時間の中でそうそう出会えるものではない。 ぶつかり合うとは、結局は相手をどれほど信じているかということ。 ”ぶつける”と”ぶつかり合う”という意味が混在しているうちは、なかなか人とのコミュニケーションも難しく考えてしまいがちだ。感情に任せ、ただただ破壊的にぶつかることは簡単でも、それでは相手との関係を築くことは出来ない。その場ですぐに結果が出ない場合が分かっていても、流動的にものごとをポジティブに捉えることが出来、相手とのこれからを見ていきたいと願うのであれば、建設的にぶつかることが出来るだろう。 これらは、私にとって一番避けてきたことであり、人とぶつかり合うなんて怖くて出来ないと思ってしまう性格だ。 では、言葉を変えて”こだわり合う”だとどうだろう。 ぶつかり合うよりは、こだわり合うと捉えた方が随分と気が楽になった。関係を一度も壊さずに大切にできれば一番いい事なんだけど、一度壊れたものを修繕したり、強化したりするほうが、愛着を持てたり、長く愛したいと思える気がする。相手の気持ちを尊重すると同時に、自分の気持ちを尊重できることが大切で、私はもっと保身に走らず、在りたい生き方に近づけるようになりたい。 相手に対してエネルギーを注ぐことはとてもパワーのいることで、本当は面倒だし疲れること。だいたい恐れているものは、自分の思い込みだったということが多い。ただ一方通行で相手だけがエネルギーを消耗してしまうような力関係にならないように、私はもっと自立しないといけないね。相手と本気でぶつかることが出来たなら、きっとそれは自分にとっての自信に繋がるはず。

心と思考

テーブルの前にノートとペンを広げて、窓越しに揺れる緑を見ながら文を書く時間が好きだ。今朝は外が曇っていて暗かった。まるで寒い冬に逆戻りしたみたいで、ロウソクの火も心なしかいつもより赤く見えた。 職業柄なかなか難しい部分もあるけど、最近iPhoneやPC等のデジタル機器から少しだけ距離を取る生活にしたところ、すこぶる調子が良くなった。まるで美術館のロッカーに荷物を全て預けるように。こうすることで初めて自分の為の自由な時間を手に入れる事が出来るので、本来自分が持っている想像力や表現を信じてあげるために時には必要なことでもあるように思う。 「今、私は何を感じているのか」。1秒1秒、溶けて色薄らいでいく感情を忘れないように、ことばを綴る。人は、一番向き合いたくないと思うことに自分の使命が詰まっている。また同じような痛みを経験してしまわないよう、感情ひとつひとつに目を向ける。意識のひとつひとつに目を向ける。 私は、私と離れる為ではなく、もっと、もっと近づきたい。そうすれば、きっと大切な人との心の距離ももっと近くなると信じている。 自然の声を聞いてみよう。静かなまま、木葉が揺れて、水が流れることはない。感情も同じ。心の声を聞いてみよう。

コロナの代償

コロナウイルスによる自粛期間の間に右耳のピアスの穴が完全に閉じてしまったので、通販でニードルを購入。すっかり身綺麗にすることを怠ってしまった代償だ。また、4月に控えていたビザ更新に関しても未だ外人局からの連絡を待っている状態のため、なんだか気持ちは宙ぶらりん、といった感じ。 歩みが遅いながらも、この期間中でYouTubeチャンネル、ラジオ番組の開設、またMOLS.incとして紙媒体のみでなく、ウェブにも力を入れようとドメイン開設をしたり、なんとか形になったようにも感じる。また、東京でライブストリーミングを定期的に開催している映像関係の友人と、同時刻でライブ配信が出来るコンテンツを計画中。また、個人的に映像制作の依頼も頂いたり、文筆ではなく、最近は裏方の仕事が多くなってきている。改めて、文章は毎日書き続けないと力がついてこないと実感したので、また、自分でアーティストにアポイントメントを取っていかなければなと思う。 最近はDark Jazzがお気に入り。たまに自分が制作した映像と合わせて聴くのが楽しい。 https://open.spotify.com/playlist/5oFEOnBu2JIAXJfnM3hwlh?si=lcxV6WnETF2u8y7XjO8CvA

髪を縛る

髪を縛る時は気合を入れる時。短い髪をまとめて、少し痛いと感じるくらいまで縛る。昔からそうだった、私の中の気合を入れる時のルーチン。髪が短くても、縛る。試合前の精神統一や覚悟に似た感覚。来るべく時にタイミングはやってくるし、辛い時だからこそ、信念を持って、その壁の先にある道に進むための秘めた力強さを持っている自分を信じたい。女らしさとか男らしさとか、そんなことよりも自分らしさを追い求めていたい。困難な時こそ、まっすぐ正直で、全力で生きたい。自分の優しい部分、純粋な部分、全部守って、活かしてあげたい。 そろそろプロフィール画像も古くなってきたな。

感情のリフレクション

最近始めたことがあるんです。題して「感情のリフレクション」というんですけど、自分自身と向き合うために、一日一回30分、自分の感情や気持ちと向き合う時間を作りました。 というのも、私は今まで自分の感情を押し殺して生きてきました。自分では自覚が無く、この歳まで自分自身の感情に蓋をしたまま、開け方が分からなくなった古瓶のように、自分の気持ちが一体どこに向いているのか、対人に対して誠実に、本音で話すということがどういうことなのかさえ分からないまま、凄く悩んでいました。 幾つか例を挙げて言えば、素直に思っている感情を表現できない。本音を言いたいのに、相手を目の前にして、声が出なくなってしまったり、吃ってしまう。ディスカッションをしていて、本音でぶつかりあわないといけない場面で萎縮してしまい、相手の顔色や動向を伺うあまり人と深く関わることが出来ない、といった悩みが今もあります。 何人かから「そういうところも長所なんじゃない?」と言われることもありましたが、なんだか附に落ちず。ああ、私は変わりたいんだな、正直に自分と向き合いたいんだなと思い、このリハビリを始めました。 方法は以下の通りです。 1. What do I feel? What’s on my mind? 自分が今何を感じているか、どのような感情が心の中にあるのか、感じて書き出す。 2. What affected me the most? どのような事象が今感じている感情を生み出したのか探り、その事象が自分にとってどのような経験だったのか振り返り、書き出す。 3. What did I learn about myself? その特定の事象が自分に与えた感情を理解することで、自分がどのような性格・特徴のある人間なのか、自分自身についての学びを書き出す。 4. What did I learn about others? その特定の事象が他人の行動に与えた影響を振り返り、他人についての学びを書き出す。 5. How will I apply this learning to my life? この自分と他人についての学びを、今後の人生にどう生かしていくのか、具体的な方法を書き出す。 2019年10月、ロンドンへ旅行に出かけた時に見かけた雑貨屋さんで、「自問自答カード」というものが売っていて、興味はあったものの、その時は買わずにその店を出たのですが、ここ最近になって「もしかして今の自分に一番必要なものなんじゃないか? 」と意識するようになりました。 実際に自分が感じた感情に、真剣に向き合ってみる。こんな時間、他の人には必要のない、至って自然に出来ることかもしれませんが、私にとっては本当に歩行器から自立する幼児のような感覚に近いのです。 実践したものを例に挙げると、前回の「感情のリフレクション」はこうでした。 1. What…

歪(いびつ)なもの

もうすぐ4月になろうとしているのに、息が白くなるほどの外気の冷たさに、思わず仕舞いかけていたお気に入りのマフラーを取り出した。今日は曇りのち雨。天気予報を確認したにも関わらず、決まって折り畳み傘を忘れて外出してしまった。そんな時、いつも「まあ、いっか」とずぼらな性格は、昔から治らない。 すっかり見慣れたベルリンの街、一定間隔の距離を開けながら目の前を歩く人と歩幅を合わせる。足並みが揃ったところで、つい頭の中でTHE BEATLES「Abbey Road」のジャケット写真を思い出す。まるで、先頭を颯爽と歩くジョン・レノンの後をついていくリンゴ・スターのようで、思わずカメラを取り出し、後ろ姿を1枚頂戴した。 https://open.spotify.com/album/67F2ya9fonXH0jVVgLa7sb?si=kxr9j4bkRvO41cJWiO4Fiw 人通りのない街の中をイヤホンをしながら歩くのが好きだ。今日はTom Waitsのアルバム「Closing Time」を聴きながら、すれ違う人もまた、イヤホンを着けているのを見かけて、その人が今何を感じてこの瞬間を生きているのかを少しだけ想像してみたりする。 14時過ぎ、友人宅でコーヒーを飲みながら窓の外を覗くと、まるで春に舞うポプラの綿毛のような大きな雪の粒が舞っていた。思わずベランダの外に出て大きく身を乗り出して空を見上げる。冷たい、というよりふわふわと肌に馴染んで気持ちが良かった。腕を虫取り網のように大きく横に振って、綿毛のような雪を捕まえる。服の裾にどんどんと積もってゆく様子が楽しくて、無我夢中ではしゃぐ私を見て、友人が部屋からタオルを持ってきてくれて、しょうがないなと、笑いながら私の頭に積もった雪を拭った。 ベランダから下を覗くと、自転車で走るおじさんの服の前だけ、雪がびっしりと積もっていて、リバーシブルになっていた。その光景に笑顔になっている通行人の姿を見て、なんだか泣きそうになった。今この瞬間全てが愛おしくてたまらなくて、全然寒くなかった。 私はなんでもすぐに感情的になってしまう。マイナスに働くことも沢山あるし、生きているうちで損することだって沢山ある。この性格で生きづらさを感じることも数えきれない程ある。ただ、人よりも感情の振り幅が大きいということは、幸せだと感じた時の振り幅も二倍だということを理解すると、「これが私らしさなんだな」と思える。 今日見たベランダからの雪は、今まで見た雪とは全然違った。歪な形をしていて、服に張り付いた結晶は潰れてすぐに水に変わってしまってずぶ濡れになった。でも私にとっては、今まで見た雪の中でもとりわけ美しかった。歪な形というのは”自然の形”なんだ。歪というのは”素朴”なんだ。降り注ぐ雪と自身を照らしわせて、ありのままでいることはどんなに着飾ったものよりも美しいことなんだと私に教えてくれているかのようだった。 結局、たった一時間で雪は止んでしまい、ベルリンの街に雪が積もることはなかったけれど、今日一日を名一杯感じて生きることが出来た私を誉めてあげたいと思った。一日一日、その瞬間に感じたことを大切に、目一杯生きる。

文を書くこと、映像を撮ること

Screamin’ Jay Hawkins「I Put a Spell On You」を聴きながら、誰も見ていない部屋で一人、無表情のまま踊る。ここ最近の私は、いつにいなくフリーダムだ。 https://open.spotify.com/album/2CnYD2t7om7gvW2U2vXoIS?si=VQlYhKibTF6jJE1z2g5TYQ Jim Jarmuschを介してScreamin’ Jay Hawkinsの存在を知ったという人は多いだろう。私もそのひとりで、20代の頃、レンタルショップで何気なくDVDを借り、初めて「STRANGER THAN PARADISE」を観たときの衝撃はいまだ忘れられない。音楽を愛する人なら誰にでも、その後の人生の方向性を決定づけるような衝撃的音楽体験というものがいくつかあると思う。私の人生のワンシーンの中で「I Put A Spell On You」との出会いは、少し多げさにも感じるが、まさにそういうものだった。 どうもこの曲の意味を探ると、女に捨てられた男の”恨み節”だそうだが、その音楽をアメリカに来た異邦人であるエヴァが、テーマソングかのように部屋でかけ流しながら無表情で踊っている姿がなんだかストレンジャーで記憶に深く残っている。作中のアメリカの風景も、白黒映画にするとそこがヨーロッパの街並みに見えてしまう不思議な感覚もまた新鮮だった。 ヨーロッパ、特にドイツの風景は白と黒が似合う。そんな自身の思いもありながら、最近は簡単だけど白黒で映像を撮ってみたり、この期間を使ってやりたいことをやっている気がする。 何かを表現したり、自分が持っている感情を形にすることは本当に難しい。いや、正確にいえば、思い描くものを形にする過程で、自分が思い描く理想と、今の自分が全力を出して表現するもののクオリティー(現実)のギャップに直面し、荒くて青い、ただのオナニーのような吐き出し物を本当に他の人の前に曝け出せるのか、というところで手が、足が、思考が止まる。 アーティストとして活動している人たちにとって、日々、いかに「今この時の、ありのままの自分を受け入れ、表現できるか」という場面で戦っている。私は文章を書く人間として、先日、初めて人に自分が’作った”ありのままの映像”を公開し、その時点でひゃ〜となっている芋野郎だ。作品を生み出すということは、生半可な気持ちでは出来ない。自分の感情に正直に生きるということは、それ相当の覚悟がいるだろう…。そう思っている私にとって、心からアーティストとして生きている人たちを尊敬した。ただそれと同時に、自分も表現者(文筆)として、映像作品を作るという違った形で新しい経験が出来たことは、今後アーティストの方へ取材する上でとてもいい気付きになった。だから、今後も映像は撮り続けたい。もっとブラッシュアップできるように、ゆっくり、ゆっくり深めていきたい。 文を書くこと、映像を撮ること、表現方法は違えど同じこと。 自分の為にやってきたことが、いつか周りの為になることを願いたい。

冬が終わろうとしている

先日、ふと夜中4時過ぎに目が覚めた。 いつもと違った、少し荒々しい風の音が窓ガラスを揺する音を聞いて「ベルリンで過ごした冬がもう直ぐ終わろうとしている」と思うと、途端に寂しくなって胸が締め付けられそうになった。 この部屋で何時間も将来について考えたり、数え切れないくらい泣いた暗く長い冬が、辛くもあったけど同時にとても愛おしい時間だったんだなと気付く。それからは、まるで最愛の人との時間を一気に取り戻すかのように、意識的に夜一人で散歩をすることが増えた。思考が巡り、悩んでも答えが出ない、そんな苦しい夜が何日続いても、ベルリンで過ごした初めての冬を忘れたくはない。 きっと私の中で、最も美しく、酷い冬だった。 ベルリンの寒さは、人や風景の感情を露わにする。目を背けていた過去と正面から向き合わざるを得ず、素肌を冷えたナイフでなぞられるような恐怖を感じることもあれば、今まで以上に人の温かさに触れ、友人が作ったケーキを食べながら、もっと一緒にいたいなと恥ずかしげもなく言えたりすることだってある。 寒ければ寒いほど、人は人で暖を取ろうと寄り添う。そんな冬が、心から愛おしい。だから、終わってしまう冬を目の前に、寂しいとは言わずに、ただシンプルに愛と敬意を持って送り出したい。いつも凄い不器用だなと思うけど、自分らしく、そう思った。 少しずつ、街を歩く人たちの服装が軽装になっていくのを横目に、私も春を迎え入れる準備をしなければいけないね。  

静と動のメドレー

師走は名前通り毎年忙しなく駆け抜けていくので、息つく間もなく年末を迎える。 今年はベルリンで年越しを迎える貴重な機会だ。ドイツ人が大好きなハッピークリスマスを過ぎたあたりから、街はまるで国境を越えたかのように、時折爆竹や花火の爆発音が鳴り、物騒な雰囲気が漂う。今年は新参者ということでその爆発音を体験してみようと思い、夜は毎年”激しい”と話題のクロイツベルク地区周辺へ撮影しにいこうと思う。今年から警察の規制が激しくなったと噂に聞くが、実態はどうなんだろうか。 さて、今年の締めくくりとして「2019年はどんな年だったか」と聞かれたら、間違いなく「寒中水泳と禅のメドレー競技を交互に繰り返している修行僧のようだった」と答えるかもしれない。これは実践したという話ではなく、あくまで例え話になるということと、”修業”とは違い精神を鍛える年だったという面でも、ここでは”修行”と使い分けたいと思う。 自分にとっては荒い行動だったが、「付き合う友人を変える」「居場所を変える」ことで、破壊的ではあるが変化を取り入れることが出来るのではないかと思った私は、ベルリンに移住することを決意した。実際、身体に直接的にショックを与えることで強靱なメンタルが得られたように感じる。 今までの自分ではあり得ないほどのスピードで変化しているので、本音を言えば、歯の1本や2本は折れている感覚に近い。だけど人間っていうものはいやはや順応的で、歯が折れてもいずれは止血するし、折れたあとの方がもっと歯を大事にしようと歯科へ定期的なメンテナンスに通おうと意識が変化するのである。 これが「寒中水泳と禅」に例えるとどうだろう。見るからに辛そうだし、初めから気持ちがいいわけはないし、どれほどイメージトレーニングをしていても、その心構えを遥かに上回る程、全身に突き刺さる痛みと寒さと動脈が収縮する(ここ息継ぎなしで口に出して欲しい)感覚に、初めは長く耐えられないだろう。私にとって、海外で暮らし、あらゆる変化に柔軟に対応する行為は、自分の体力(メンタルの強さ)を知ることにも繋がった。既にベルリンに生活し、冷水に慣れた様子で泳いでいる人々の姿を見て「気持ちよさそう」と一言、私は冷水に裸一貫で飛び込んだのだ。 結果、風邪をひいた。でも死ななかった。そう、人間は順応的なのだ。 そして寒中水泳でなんとかバタ足で50m泳ぎ切ったその先で、ベルリンスタイルに身を包んだ僧侶が警策(棒)を持って待ち構えていた。息を切らした状態で全裸で正座し、自分の心を洗い流し、不要なものを捨てる修行へと切り替わる。非常に忙しない心情のなかで、自分自身を見つめ、自我の開放を目指す。30分間、膝の痺れと震える寒さに耐え、時に警策で喝を入れられながらまた冷水の中に飛び込むのだ。 ただこのメドレー競技は拷問ではない。このメドレーには沢山の指導者がいて、寒中水泳の後には身体を摩ってくれる人がいて、冷水に浸かることで脂肪燃焼や心臓病の予防にもつながることを教えてくれた。座禅でも、ただ叩くのではなく、励ましの意味を込めて道を誤らないように方向を正してくれる僧侶を身近に持ったことがとてもラッキーだった。 この”静と動のメドレー”のお陰で、今まで近づくことの出来なかったジャンルの人たちと話すことが出来たり、SHIFTmagazineに寄稿させていただいたり、Kana MiyazawaさんとBerlin Atonal 2019の取材に同行させてもらえたり、MAKOTO SAKAMOTOさんのアルバム”reflection”について初めてライナーノーツを書かせてもらたり、ベルリンのライブハウスでイベントに出る機会を頂けたりしたんだと思う。 このように、自ら体感することが何よりの知恵だということも理解できたが、潰れてしまわないように傍で見守っていてくれる人たちに支えられた1年間だった。関係ないけど、正拳突きも簡単ではあるが習った。今後、私はもっと強くなるに違いない。 自分が書く文章について、実際に媒体を通して書いたものよりもこのブログに書いてある文章が面白いと評価してくれる人が現れたり、もう少し自分の得意な部分を活かせたらなと思う。「文筆家は自己規制してはならない」「常に頭の中を無政府状態にしておかなければならない」。この言葉は、誰にでも当てはまる訳ではないが、少なからず今の私にはとても核心に触れる言葉だった。その為には周りの情勢や歴史についてもっと学ぶ必要があると思うし、誰も考えもしなかった言葉を纏い、表現できるほどの経験が必要だなと思った。 去年の自分なら理解できなかっただろう「自身の奥にある暗くて深い闇の部分を受け入れつつ、正のパワーやオーラに変えてどう表現できるのか」が1つの大きな課題でもあるなあ。その為にも、2020年もまだまだ寒中水泳と禅のメドレーを続けつつ、魂の解放を続けていくことになるだと思う。

食欲と音楽の関係 〜Restaurant Yuumiにて〜

昨日は、オープン直前の隠れ家創作レストラン「Restaurant Yuumi」でコース料理を味わうという贅沢な体験をしたので、その余韻を引きずったまま記録している。 Nöldnerplatz駅から徒歩5分の場所に、まだ看板の灯りも無くひっそりと佇むレストラン。広く間隔をとった客席、その奥に4人掛けのカウンターが見え、店主のYutaさんと奥様のMichaelaさんが温かく出迎えてくださった。中に入ってすぐ横のハンガーラックに上着を預け、肌寒い外の空気とはうって変わり、ムーディーな音楽と温もりのある木材を基調としたインテリアに、私はすっかりと顔が火照ってしまい、席に掛けたあともしばらくはどきどきして落ち着きがなかった。 メニューは全てその日に買い付けた食材や旬の食物を使用しているらしく、体が喜ぶようなおしながきが各席の前に添えられていた。完全予約制のコンセプチュアルなレストランなので、毎日のメニューはその日来店されるお客様のご要望や体質に合わせてフレキシブルに変えていくそう。今回はそれぞれ職業分野の違った4人が集まっていい料理・いいワインを味わおうということで、始めにドイツの赤ワイン「Markus Schneider Ursprung」で乾杯をした。 カウンターに横並びで座ると、目の前に枠組みされたキッチンから料理が出来上がっていく過程が見えるようになっている。調理されてゆく食材を眺めながら、4人で自然と愛について質疑応答が始まっていた。普段このような話は恥ずかしくて苦手な私でも、何故だか今日は友人の恋愛話が聞いてみたくなり、自分も自然と話題に出した事に驚きつつ、いや、この雰囲気がそうさせるのだと感じた。空間にマッチするかのように、この夜は理想の愛について話してみたくなったのかもしれない。 奥様がコースメニューについて丁寧に説明してくださった後、美しい器に盛り付けられた料理をゆっくりと味わいながら、より深い話に進展していく。 なにより、これだけ深い話が出来る理由は4人の関係性以上に「食欲」と「BGM(音楽)」が密接に関係している気がした。 ある研究では、食事中の音楽によって食欲がコントロールされるという結果が出ている。事実、優雅な音楽やTPOに合わせたBGMは目の前の食材をより豊かで愛に満ちた一品に変化させる。店内の音楽はジャズがメインとなり、エラ・フィッツジェラルドやカウント・ベイシー・オーケストラ、ジュリー・ロンドンなどが流れ、まるでそこがベルリンだということを忘れてしまうほど。 私はロマンチックな演出にめっぽう弱い。美味しい食事と愛を謳った音楽があれば、一瞬で恋に落ちてしまうかもしれない。そういった意味でこのレストランは、これから数多くの愛が生まれる場所になるのだろう。そう思いながら、ま新しい食器やグラス、大きな木目のテーブルに目をやり、誰かの幸せそうな顔を思い浮かべた。 料理や流れる音楽に合わせて、会話の流れも流動的に変化していくことが楽しくて、私はただ周りの空気を思いっきり吸い込んで五感で「贅沢な時間」を味わった。 店主と奥様の人柄を見て、どれほどこのお店が愛情込めて作られたものなのかは一目でわかる。 愛情を受けて育ったお店には、愛情を持ったお客様で溢れかえるに違いないよなぁ。 食欲が満たされたと同時に心も満たされ、自然と周りの人へ感謝をしたくなる、そんな場所。全ての料理が終わった頃にはすっかり4人ともYutaさんの魅力にハマってしまい、Yutaさんが奥様に照れながら「見た目には自信はないけど、ハートは誰よりも熱いから」と話していた姿が忘れられない。 帰り道、先ほどの幸せだった余韻に浸りながら、駅に向かう時間でさえも愛おしく感じ、少し早いけど自分へのいいクリスマスプレゼントになったなと思った。 なんとなく、この気持ちを忘れたくないと思ったので、自分なりにこのレストランの雰囲気に合ったプレイリストを作ったので、これを聴きながら想像して欲しい。そして、来週末晴れてオープンするベルリンの新しいホットスポットに是非訪れて欲しい。 “Restaurant Yuumi” Berlin Nöldnerplatzにあるフレンチ×日本食の創作レストラン”Restairant Yuumi”のコース料理をイメージしたプレイリストです。 https://open.spotify.com/playlist/5UWTimPru5CesboMNvxef4?si=yH-KdPdkTtSdb-esSpWjGQ   Restaurant Yuumi Emanuelstr 1 10317 Berlin https://www.restaurantyuumi.com  

消えてなくなる

今年、私のなかの色んなものが消えていなくなった。 ここに来て、もう昔の私には戻れないステージまで来ているような気がする。 心配性で、常に背中に壁がある状態でないと落ち着かなかった私だったけど、ふと振り返れば、随分と遠くまで歩いてきたようで、背中にあった壁は取り壊されて跡形もなく無くなっていた。 誤って破損したものは修復できるけど、大きな衝撃で破壊されたものは二度と修復できない。昔テレビ「劇的ビフォーアフター」で、思い出の家の内装が容赦無く取り壊されて、家主がその光景を見て思わず泣いてしまうシーンを思い出し、今の私の心情が全くその通りだなということに気付いた。 別に無理矢理取り壊されたわけでもなく、自分から依頼したはずなのに、手放す行為に対して恐怖を感じる。お気に入りのブランケットを手放し一人でベットに向かう子供のような、自然と過去の習慣から卒業できるわけもなく、まあ大人はややこしく、面倒に育つものだ。 容赦無く破壊されていく様子にただただショックを受け、もう二度と戻らない光景に泣きじゃくった日々もそう長くは続かない。泣いた後は、隣人から「なんだ、そっちの方がいいじゃん」「昔の面影が消えて明るくなったよ」という言葉が貰え、初めは歪でも、心も体も自然と形状記憶するんだということを学んだ。今の気持ちは凄くスッキリしている。それと同時進行して、割とやること山積みな状況に苦笑いしながらも「とりあえず進みます!間違ったらごめんなさい!その都度教えてください!」と軽い気持ちで考えられるようになったような気がする。 人間には、時に必要のない美学がある。悪魔崇拝が流行らなくなった今、次に目指すステージは闇や影の部分を表に出さずにオーラやパワーに変えて光を放てるようになりたい。

非表示ルートを走る

ベルリンに来た時が5月21日。あっという間にベルリンに滞在してから半年間が経過し、ヘッドホンを着けながら電車に乗ることも怖かった当時も、今では半分寝ながら乗り継ぎができるほど、この街にも”とりあえず”慣れてきたように感じる。 暫くは電車での移動がメインだったが、ある日マコトさんから今は使わなくなったお下がりのBMXを譲っていただいた。マコトさんは簡単に説明すると「ベルリンの灰野敬二」みたいな人で、いつも会話の最後は「今日も話し過ぎた」と言ってごめんねと謝ってくれるサイコな部分もあるけれど優しい人だ。 11月の早朝5時半、私はGoogleMapに表示された通りのルートを走っていた。自宅から目的地までの間には大きな下り坂があり、その下り道の一番裾まで一気に下り切ったところで、交通量の多い道路を直線に走る経路だった。その経路をマコトさんに話すと「その道よりもっと景観も良くて最短距離の経路があるよ」と、地元を精通したタクシードライバーの如く、マップには載らない”非表示ルート”の通り名から何個目の曲がり角を右折する等、詳しく教えていただいた。 GoogleMapでは教えてくれない経路に若干の不安を覚えながら、翌日教えてもらった通り、大きな下り坂を降りる直前、自転車道のある道へ右折する。以前の道は景観も淡々としていて交通量も信号も多く、各所で信号機に引っ掛かり失速しなければいけない時が多かった。だが、新しく教えてもらった道にはしっかりと自転車道が確保されており、景観も良く、信号機も少ない。考え事や思いに耽るには格好の経路だった。 そして何より、GoogleMapで最短ルートとして表示されていた道よりも近く、体力の消耗も少なく済み、流石、長く住んでいる人の言うことは本当だったと後日電話で感謝を伝えた。 この日から、走りながら独自のルートを見つけ出すことも大切だけど、こうして初めからショートカット出来る部分は人から習って試してみることも学び、そのお陰で毎日の自転車移動が楽に感じるようになったし、地図も見ずに景観や通り名で大体の居場所が分かるようになった。 自転車に乗っている間、基本的には最近起こった出来事や最近話した話題について振り返ることが多い。最近でいえば、自身の言動に対して賛否両論やヘイターが出ることに対して恐れない様に構えることだったり、中途半端な知識や文章には誰の心も動かせないということ。 文章を書く人のことを表現者とするならば、本当に読まれるものは、何かヤバイことが書かれていそうだったり、タイトルを見てハラハラドキドキしたりするものなんだろう。 ライターやジャーナリストはどうしても情報量過多になりやすく、広く浅くなってしまいがちな面もある。だけど私はもう少し、自分の性格に慣い、いっそのこと完全にアンダーグラウンドに振り切ってしまってもいいのかもしれない。私はくそったれの馬鹿野郎だから。何度も「そうした方がいい」と言われながらも、どこかで身綺麗で居たいという自分もいたから、放送コード気にしたり禁止ワードに過敏になりすぎていた部分もある。 ただある程度「非表示ルート」を上手く通り抜けるためには、先ほどの自転車ルートのようにAパターン、Bパターン、複数のパターンを認知していることが重要だったり、また走っている時の景観が大事みたいなことと同じように、執筆中のフィーリングが「気持ちいいかどうか」という部分が、シンプルだけど大切だったりする。 不愉快なものを愉快がる人もいるし、批判・批評する人生の先輩と呼ばれる人たちも、恐らく私より先に死ぬ。そう思えばちょっとくらい枠からはみ出してもいいかもしれないな。今はまだ恐る恐るだが、少しずつ、マップに載っていない独自のルートを作る過程段階へ突入する。

寂しさの裏を知る

ちょうどさっき、日本からベルリンに滞在していた友人をテーゲル空港まで送り届け自宅に着いた。アパートのエントランスを抜ける前にポストの中身を確認すると、ちょうどさっき空港へ送り届けた友人からのポルトガルで書いたであろうポストカードが届いていた。ほんの数時間前までここで一緒に朝食を取っていた光景を思い出し、また別れのハグで少し目が潤んでしまったこともあって、私はそのポストカードと唯一日本から持ってきた大きな抱きぐるみを抱え、ナンニモナイ空虚な部屋で感情のままに泣いた。 友人が滞在していた2週間は、私自身、ベルリンの気候の変化や感情の変動が目まぐるしく、友人が観光から帰ってきても背中を向けてパソコンをずっと触ってばかりで、ゆっくりと話すことも出来ないでいた。自分は家族以外で人と一緒に生活をした試しがなく(4歳の頃から風呂場には一人で入り鍵を閉めるほど一人の空間が大事な人間だった)、自分自身を追い込むときに出る空気感やあらゆる感情に揉まれる私をみて、彼女は心から安堵して滞在することが出来たのだろうかとか、色んなことを考え込んでしまった。 失恋や別れの何がこんなに悲しいのかって、相手を失った喪失感というよりは、自分の身体の一部が欠けてしまった事に対する痛みなんだと思っている。勿論それがほんの数回しか面識のなかった友人であっても、そこにドラマが生まれれば、それは自分の細胞の一部になる。 送り届けた帰り道、私はいよいよ本当に自分自身と対面し真剣に向き合わないといけない時が来たと思い、別れの悲しさとこれからのベルリンでの生活に対するプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。これまでは「人が家にいるから」という理由で少し自分に対して甘えの対象があった分、また一人の生活に戻ったことでギアを切り替えて行動していかなくてはいけなくなった。その時、自分では気付いていなかった「ああ、私は間接的に友人に甘えていたんだな」という感情が冬の衣服に滲んで濡らし、ひやっとなってまた涙がでそうになった。 寂しいと思うとき、人間だれしもその感情には裏があるんだと思う。 今回の自分のケースも、ただ単に友人が日本に帰ってしまったことに対する「寂しさ」というシンプルなものだけではなく、その先の生活に対する「恐怖心」や「劣等感」、またそこから派生して日本に残る家族に対する自分勝手な罪悪感など、複数の場面がリンクして「寂しい」は生まれるんだと知った。私の寂しいという感情は、依存心ではなくその奥にある別の感情から成るものであり、究極、その答えは「自己肯定の低さ」に現れるというところまで行き着いた。ただそれもポジティブに考えれば、自分の選択した道順に沿って周りの意見よりも自分の五感と直感を大切に生きているということにも繋がる。 ただ自己肯定の低さを認識しているということは、どこかで何かに依存しているものがあるはずだと。そういう思考までは分析できてもその先はまるで自分でも触れたくないかの如く、蓋を閉め切ったまま自らもそれ以上詮索しなかった。だから、私は人と常に60%のパワーで付き合っていくことを心がける。もしかして、この比率を間違って、相手に対して愛着を持ってしまい90%のパワーで接してしまったらとか、その先の自分のリアクションも把握が出来るから、私は一人でいるということも…分かっているんだな。お前も大変だな。 ポストカードで別れの挨拶なんてずるいよ。ポルトガルの風景を切り取ったポストカードの裏には、たった数行だけだけどとても大きな愛情を感じてとても嬉しかったよ。この複雑な私の感情も過去も、全て認めてあげることができたらいいよね。ありがとう。    

母孝行

今日8月28日は、母が亡くなって19年目の命日なので、今日はなんの予定も入れず、ずっと母と対話しようと決めていた。私が唯一持ってきた一枚の母の写真と一緒に、今日は母の好きなビール(本当はアサヒビールが好きだけど)と、ケーキとお花を買いに出かけ、その途中でブログを書いている。 とにかく厳しくて、私の意思を全く無視してスカートを履かせ、大嫌いな女の子の服を着させたかった母に、毎日反抗し、家を出た後、近所の公衆便所で自分で選んだメンズライクの服に着替え、帰宅する頃に、母の指定したスカートルックに着替えていた。毎週スナックに通う母に付き添い、そこでいつも大量の小魚スナックとラムネを与えられ、母が楽しそうにオカマのママと談笑しているのをパジャマのまま見ていた。 そんな11歳の夏休み最終、母を亡くした時も一切涙は流れず、ただただ感情の発散方法がわからず、通常通り、なんでもない学校生活を送っていた。 時間が経つにつれ、母がいないことに対してやりきれない後悔と虚しさを感じ、それと同時に今まで母に全ての行動を縛られていた分、解放された犬のように私はどんどん野生化していった。この何十年か、私は母の死に対して、ただ自分の寂しい思いや、悔しさ、許しを請うような感情を剥き出しにするばかりで、30歳になるまでしっかり母親と落ち着いて対話をしてきてこなかった。 ベルリンに来て初めて、ようやく母の写真をじっくり眺め、母が好きなビールを一緒に飲んでいる。母が生きていたら、きっと私は結婚し、幸せな家庭を作っていただろう。それも全ては母の作戦だから(笑)。ごめんね、作戦通りにいつも動く子供じゃなくて。 ただ、母は純粋に私に安全な暮らしを与えたかったのだと思う。母が生涯、望んでいた暮らし。母は、いずれ私と2人で暮らしたかったのだと思う。その願いも、もし現在生きていれば、恐らく母は高所恐怖症なのでベルリンまではついてこれなかったんじゃないかなと思うと、霊魂となって自由自在に動き回れる分、母も今の方が人生楽しいんじゃないかなと思ったり…。 たまにクソ真面目な自分の性格が見えた時に、今でも私がやること成すこと、全部母に操作されていたり。なんて想像して「もうやめてー」と思いながらも、いつも守ってくれてありがとうと思っているよ。 今までネガティブな感情飛ばしまくって泣いてばかりでごめんね。私はもう自分を許すことにします。まだまだ時間はかかるけれど、今後は何かの形で、あなたに関しての作品を作れるようになりたいです。あと、結婚は期待しないでね(笑)。

継承やギフト

今日、アパートにAIR MAILが届いた。いつも寄稿させていただいている「SHIFT magazine」からだった。ベルリンに来て以降、自分宛に届いたものは役所関連の通知や、不動産の管理会社しかなかった為、とてもドキドキしながら、普段は雑に破って開封するけれど、ハサミを使って丁寧に開封した。中には、同じくSHIFTの寄稿者でもあり、アートディレクター兼写真家のVictor Morenoの写真集だった。写真にはSonic YouthのLee Ranaldoや、Ariel Pinkなど、世界で活躍するアーティストや写真家、映画監督のポートレートが載っていた。 なんて粋なサプライズなんだろう。まだ、メールの文面でしかやりとりをした事がなく、そんな私に対しても丁寧に対応していただけるなんて。しっかりお礼の手紙を書こう、来年日本に帰った時には必ず会ってお礼がしたい、そう思った。 また、先日は定期的に連絡をくださる東京の尊敬する恩師の方から温かいメッセージを頂いた。東京で知り合ってから、ディープな世界を体験させてくれたり、私の為になる知識を沢山くださる方。いつも甘やかされて、頼りきってしまう弱い自分でも嫌な顔せずに見守ってくれる方。 私が日本からお世話になっている憧れの先輩たちは、嫌味一つなくサラッと相手が喜ぶようなプレゼントや贈り物をしてくれる。それは、ただ物質だけの意味ではなく、継承であったり、経験というギフトを与えてくれる。これは本当に贅沢なことで、私はそんな大人たちを見て「私もこんな大人になりたい」と、改めて思った。 「人は忘れる生き物だから」「生きるということは、忘れるということ」 ある脳科学の書籍で読んだ記憶がある。人間はいい記憶ほど忘れてしまうし、嫌な記憶ほど脳の中で何度も繰り返しリピートしてしまう。ただ、終わってしまった恋愛となると不思議なことに、悪い思い出ほど忘れてしまうし、彼のいい面ばかり思い出してしまう。…なんとも酷なことだなと思う。 人から与えられたギフトは、絶対に忘れないように、一つ一つ大切にノートに記録する。損得勘定で動いているのかとかそんなことではなくて、人って結構こんなに親切にしてもらった事でも忘れてしまう生物だから。そう思いながら、昔の自分ではあり得なかった程、ノートには感謝の言葉や前向きな言葉が増えていく。 ベルリンに来てからというもの、毎日が目まぐるしく、正直何一つ上手くいった試しもないし、正直今でもなんとかやっています状態だけど、日本にいたら絶対に感じる事が出来なかった感情や体験ができていることが、何よりも嬉しい。前衛的に動く周りの尊敬する人たちは、みんな40代だったり、それ以上の方も多い。「あなたは歳を重ねるごとに魅力的になっていくね」と言われるように頑張ろう。

逞しくなる

先日、ベルリンに来た友人が「逞しくなったんじゃない?」と声を掛けてくれた。ドイツに来て2ヶ月が経ち、早速大阪にいた頃の友人に会えた嬉しさと、どこか今まで肩の力が入っていた部分がするっと解れたことで、単純だけど泣きそうになった。 正直、既に何回か日本に帰りたいと思ったこともあるし、自分がなんのためにベルリンへ来たのか軸がぶれることが何度もあった。本来はアイスランド音楽が好きで、ドイツを選んだ理由は「過ごしやすさ」と「夢の実現のための通過地点」で選んだ土地だった。ベルリンのカルチャーも勿論大好きで、暮らすのであれば、現地のリアルな音楽シーンやメディアアート分野ももっと知りたいなと思っている。だけど、本来の自分のなりたい人間にそう簡単にはなれないわけで、その中で何を優先すべきか選択する場面が重なると、あれ?自分って何の為にベルリンに来たんだっけ…と、目的を見失いがちになる。お金も維持しなきゃいけないし、暮らす為には必要な手続きもしないといけない、言語も勉強しないといけない、人間関係も新たに構築したい、今まで日本にいたままだと全て「面倒臭い」と後回しにしていたことを今は一つ一つ道筋立てて継続していかなければいけない。改めて、私はとてもいい機会に海外に来たんだなと思い、泣きながら、失敗しながら、時間や経験をお金で買っている状態なんだと思う。 1年後の自分を覗いてみるけど、まだ薄くベールを張ったまま全貌は本人でわからず。ただ、日本にいる頃から「ああなりたい」「これがしたい」と言っていることは一つずつでも叶えてきているので、これからも定期的に今までの自分の行動をブラッシュアップして整理していきたいなと思う。

オーディオから離れて

最近になって、ようやくヘッドホンを装着しながらベルリンの交通機関を使えるようになった。それまではヘッドホンで有意義に音楽なんか聴いている場合では無かったし、終始聴覚を研ぎ澄ませ、どこで乗り換えるべきか1駅ずつ確認する必要があった。2ヶ月が経過し、住民登録や銀行口座の開設も終了し、ようやく自分の作業にコミットできる時間が出来たような気がして、なんだかちょっぴり嬉しい。以前勤めていたeイヤホンでは毎日イヤホンやヘッドホン、スピーカーに触れて、帰ってからも毎日新しい音楽を探し聴いていたので、ここまで自分が音楽から離れることがなかった。そんな話をしていたら、尊敬する恩師がスピーカーを送ってきてくれるらしく、本当に人からの支援で生きているんだなとつくづく感じる。ありがとうございます。 ヘッドホンを着けなくなってから、今度はフィールドレコーディングにはまった。SHURE MV88を毎日ポケットに潜り込ませ、街の音を録音したり、たまにドイツ人の男性から声をかけられた時や、酔っ払いの絡みまで、取り敢えず録りまくったのでいつか編集してポートフォリオとして記録したい。 オーディオから離れて、街の音に敏感になった。新しい言語が聞こえてくるのはとても楽しい(半分は嘘、理解できないストレスが凄い)。

扱いづらさを持つ

題名の話は後半に回すとして、昨日は日本にいる時から憧れていたKana Miyazawaさんのお仕事に同行させていただき、あるメディアの取材風景を見学いたしました。前日は変に緊張してしまい、軽いアシスタントなだけなのに何かをシュミレーションしながら、変に構えていました。結果、当日の現場では終始和やかなムードで、ビールを飲みながらインタビューをするKanaさんとキエフから来た「Closer」のフィメールPRのAlisaさんを記録していました。初めてのロケハンだったので、カメラマンのSakiさんの動きや、取材への姿勢を目の当たりにして、とても貴重な経験となりました。 題名について、私は以前より一貫して「扱いやすい」だけの女性にはならないように心掛けている。親しみやすさは、人間関係の構築には必要不可欠なものだが、女性らしさも兼ね備えながら、一筋縄ではいかない「芯の強さ」は決して失わないようにしたい。 私が憧れる働く女性は、背筋が伸びていて美しい。少女と大人の女性の中間地点にいて、だいたい「なんだか魅力的だな」と思う人って、決して「扱いやすい人」ではない。その人らしさがあって「絶対的なもの」を持っている。妥協を許さず、人としての美しいを表現できる人は問答無用でかっこいいなと思う。 今週末は引っ越し。しばらくは体力温存しておこう。

長い靴擦れとの戦い

実は6月21日で、ベルリンへ来て1ヶ月が経過することになる。「DB遅延問題」「初日ホームでホームレス体験」のあの日が懐かしい。ここ毎日が怒涛の日々で、1ヶ月経ったからこそ振り返ることが出来るものもある。 実は渡独当日の5月20日、叔母と友人1人が早朝の関西国際空港まで送り迎えしてくれた。スーツケース1個とバックパックに生涯の荷物を詰め込んで、まさかの移動中にスーツケースのタイヤが1個欠損。そして1人で32kgもの荷物を抱えて移動しないといけないことをすっかり忘れて、空港到着後に後悔するという初日から”段取りの悪さ”を発揮。 日本出国の日、早朝早く見送りの時間に余裕はなかったため、入国ゲートの目の前で最後に交わした言葉は「じゃ!」の一言のみ(今考えたら軽すぎる笑)。 最後に叔母から「最後に抱きしめさせて」と言われたときは悲しくは無かったけれど、入国ゲートを通り、一人飛行機の到着を待つ間で、今まで頑張ってきた感情が爆発して泣いてしまった。気を張って背筋が伸びていた分、一人になった瞬間の安堵感というか緊張がほぐれた後に今までの恐怖が一気に湧き上がってきて、最後にもらったコンビニのおにぎりを食べながら静かに泣いた。 叔母はそのあと、友人と即別れ、一人空港のトイレへ消えていったらしい…。友人には申し訳ない(笑)。叔母も私も目の前では泣けない頑固なタイプだから。 この新しい革靴を履きこなせるまでの「長い靴擦れとの戦い」の時が一番辛い。土地に関しては馴染みやすいけど、まだやっぱり不便が多いし、無知である自分に落ち込むことは日常茶飯事である。プライドの高さなんてここでは無駄なものだし、今までにないくらい「勢い」で行動してる感が凄い。そりゃあ手続きや生活に必要な情報源の収集は念入りにするけれど、頭だけで考えて「不可能」を決めつけなくなった。なんだったら英語も大して話せないくせに、現地のアーティストに取材をしてみたり、怖いと思ったものでも取り敢えずぶつかっていくほどにはメンタルが鍛えられているのかもしれない。 「腹をくくる」状況にならざるをえなくなった時、いままでは予算、時間、現実とを考えた上で、それでもなお「クオリティの高いもの」を求めて動いていたけれど、今は全てにおいて新しい試みなので、先に先方には「失敗します、ごめんなさい!」と伝え、自分の外野にあるものに関してもカッコはつけずに正直に生きようと思うようになってきた。だからといって、自分にとって利益になりそうな機会の時は、結構「できます」といった後から焦ること多数。ベルリンに来て直感力が鍛えられてるな〜と感じる。 1ヶ月間だけでも、今のベルリンがとても成長期にあることがひしひしと感じ取れる。きっと、またこの1〜2年だけでもかなり状況は変化すると思っている。もしかしたら自分自身もベルリンにいないかもしれない。今全て変わってしまう前に、行っておきたいところや見ておきたい景色、沢山足を運んで行こうと思った。

ETHE REAL

先日ベルリンで開催されていた「Performing atrs festival 2019」のパフォーミングの一つでコンテンポラリーダンス「ETHE REAL」の公演を観に行った。詳しい内容については後日記載するとして、私は初めて至近距離でコンテンポラリーダンスを鑑賞し、まるで彫刻やスカルプチュアを学んでいるような感覚であっという間の1時間だった。夢と現実の中間地点で、シーンはある男女のやりとりから始まって、夢の中で囁く悪魔の歌声、昆虫同士の食物連鎖や向こう側の世界との対話など。シーンは目まぐるしく変化していったが、初心者の私でもその世界観に入っていくことができたのでとても楽しかった。 文章にすることはまだ慣れていないので、これからしっかり勉強していこうとおもったが、コンテンポラリーダンスは理解するといった切り口で観るのはなんだか違う気もする。観にいくことはとても勇気がいったことだし、これで演者側の思考が理解できずに終わってしまったらどうしようと思ったが、恐らく今回観たパフォーマンスは観客から笑いが起きる場面もあり、まだカジュアルライクに感じたので、とてもいい公演に巡り会えたんだなと思っている。 その中で、特に気になったアーティストがStefano Ciardiという舞台音響を担当している方で、どうしても作中の音楽が頭から離れずに、執念で彼の名前を割り当て、実際にアポイントメントを取ってみた。 過去10年間、彼は演劇とコンテンポラリーダンスの世界で活動していおり、彼自身音楽活動もしていたそうなのですが、現在は舞台音響に力を入れているという。彼に「あなたの音源はどこにもなかったので、もしvinylやCDがあるのなら販売してほしい」と伝えると、「私的に音源はお渡しすることはできます。ただ、私が作っている音楽は芸術的要素は勿論、そこにドラマツルギーも関わっていないといけません。なので、音源だけで聴くことと、舞台でダンスとともに聴くということは捉え方が違ってきてしまう。他のプロジェクトとして、音源はいつか世間に公表したいとは思っているよ。」と返事が来た。 彼の考え方は非常に職人的で、さらに今度会って直接当日の舞台のことから音楽に対しての考え方など聞く機会を設けてくださるということで、ちょっとビビっていながらも、チャンスだし、また書き起こして記事にしたいなと思う。 最近海外の人と話す機会も増え、個人的にはまだまだ小学生よりも文法が汚いながらも、一生懸命に話すことだけはなんとか伝わっているみたいで安心した(笑)。ニューヨーク、スペイン、様々な方が話す英語に早く慣れていこう。

Görlitzer Parkから見えるベルリンの変化

ベルリンで毎年開催される「Labour Day」と呼ばれるメーデーには、クロイツベルクにある一帯で大々的なパレードが開催されるそうで、すでに時期は過ぎているが観光がてらGörlitzer Parkという公園へ連れてきていただいた。 ここでは毎年かなりたくさんの人が集まって、公園や広場には本格的なステージやDJブースが設置され、爆音で流れる音楽とともに踊り狂う群衆で埋め尽くされるそう。 ただ、このパレードも年々変わってきている。毎年規模は縮小され、警備もさらに強化され、昔より騒音問題に厳しくなった分、以前のような「クレイジーさ」は無くなってきているとのこと。 クロイツベルクの街並みを少し散歩しただけだが、至るところで建物の解体作業や建設が進められており、物価が上がってしまった影響で有名なクラブハウスやライブハウスが次々と閉店したり、移転している場面が多く見られる。昔からここで暮らし、音楽が好きでこの国を選び移った人たちは、「やばいことになっている」と口を揃えて言う。 以前と違って、パレードが商業化してきていることには間違いなさそうだ。 なんとなくこういう話を耳にすると、私たち移民のせいなのかなと、全く関係がないとは言い切れない部分もあり、複雑な気持ちになってしまった。 1つブロックを跨ぐと黒人がドラッグを売りさばく風景が日常的だけど、別にずば抜けて治安が悪いわけでもない。ここに来て数日しか経っていないが、恐らく今はイギリスやフランスの方がうんと治安が悪いように思える。 これからオリンピック開催による経済効果を大きく期待している日本の方が、もしかしたら「やばい」んじゃないかと話しながら、まだベルリンは平和なんだと思った。

仕事ができる人

ベルリンに到着して2日目が経過。ただ変なのか、海外へ来たと言う実感がまだ湧かず、恐らく現地の暮らしらしい暮らしもしていないからだと思う(働き始めたらまた変わるだろう)。 「note」には簡単に書いたが、ベルリンへ着くまでの道のりは決して簡単ではなかった。 ドイツICE(DB)での遅延問題/返金処理方法 https://note.mu/ari_matsuoka/n/n388316c6b6be とんでもないハプニングで精神的にも身体的にも疲労がMAXだった私に、日本へいた頃から連絡を取っていたベルリン在住の日本人のShuheiさんから「今日は休みだから携帯のSIMカード購入やICEの返金処理の手続きなど付き添うよ」と連絡をいただき会うことに。 まだ携帯のSIMカードをGETしていなかったので、neukellon駅で待合せするにも結構ハードだったが、とても優しく迎えてくださり、まずはSIMカードの購入しに、Alexanderplatzの家電量販店まで行くことに。無難にvodafoneのSIMカードを契約し、パスポートを提示し無事に購入完了。電話番号は好きな番号を選ぶことができて、GBをオーバーすると、今後はプリペイドする方式らしい。 ドイツ語が堪能なShuheiさんと一息つくため、近くのカフェへ行き、そこからメインのICE問題を解決しにインフォメーションまで。こっちの役員や駅員は本当にまだベルリンに来て2日目の私にとってはかなり強者揃いで、かなり強気な態度でふっかけられるのは当たり前。日本のサービスとは全く違うというのを身をもって体感した初日でした。Shuheiさんがドイツ語で20日の経緯を説明してくれる。何度も書き直し、なんとか50%のキャッシュバック、22.45€を手に入れることが出来、達成感でほっとした(100%、Shuheiさんのおかげ)。 諦めずに何度も交渉してみると、対応が変わったり変わらなかったり、その日の気分で変わるということも身をもって感じた。 鉄道の手続きがメインだったので、ようやくここで一息Wedding地区へ向かう。Shuheiさんの目当てだった中古機材が揃う店を見に来たはずが、トルコ人が経営する小さなリサイクルショップで目当てだったスピーカーはさっき売り切れてしまったそう(奥にはシーシャが沢山並べられていた)。 諦めて、シュプレー川の奥にある「Cafe Pfortner」へ。朝は9時から夜11時まで、カフェやディナーを楽しめる「廃車バス」を改装して作られた親しみのあるお店。外はもうすぐ6月なのに12〜13℃程と肌寒かったのでホットココアを注文(2.5€)。金額もまだ良心的。写真のレンガ造りの建物とバスが併設されていて、自由に席をチョイスすることができたので、迷わずバス席を選択。Shuheiさんも「ここ来てみたかったところだったんだ」と携帯で写真を撮って、二人で「映えるよね」とニヤニヤしながらゆっくりお茶をした。 日本の広告と大きく違う点は、「公的な広告が多い」というところ。日本だと有料広告ばかりで気が滅入ることが多いが、ベルリンではパーソナルなイベントポスターだったり、民間で制作しているポスターが多く、ただデザインのスオリティがどれも高く、歩いてみて初めて知るイベントやポップアップが多い事に気づく。ここでは、自分から足を運んでコミュニティを広げない限り生まれないものが多そうだ。 私の「WEEKDAYに行きたい」というわがままで、Neue Schönhauser通りにあるWEEKDAYへ。ここは2015年、前職eイヤホンでドイツ視察に来た時に通った場所だ!と、なんだか嬉しくなりながら、ここでは10€の安いニット素材のタンクトップを購入。 「ちょっと変わった建物を見せてあげるよ」と次に案内してくれたのは、まだドイツが西と東に分断されていた頃に建てられたであろう老朽化が進んだ建造物。窓は割られて無くなっているのか、それとも元から無いのか、やけに周りの建物が綺麗に建て替えられていて、余計に存在感が際立っていた。 「軍人はみな殺人鬼だ」と書かれた壁に、ウォールアート。ベルリンは毎日忙しなく変化し続けているし、ここ4〜5年でも随分と移民が増え、建物も次々と取り壊されているらしい。この建物が無くなってしまうのももしかしたら時間の問題かもしれないなと思った時、持ってきたFUJIのカメラで景観を映した。 やっぱりみんながみんな、ドイツが好きで住んでいる訳ではなく、何かしら理由や事情があってこの街に馴染もうと一生懸命に行きている人も多い。私自身も、ドイツに来たからといって毎日遊んで終わる1年にはしたくないし、友人からは「羨ましい」と声をかけられる事も多いけど、きっとこれから3年、5年、いや、もっとそれ以上の年月をかけてようやく「なんとなくこれでいいのかな?」になるんだと思う。 初めて食べるベルリンでの晩御飯は、カリーブルストでもなく「ファラフェル」というベルリンでも有名なヒヨコ豆のコロッケをサンドしたアフリカ・スーダンの料理。「Sahara Imbiss」はイートインも出来て、何よりスタッフがチャーミング。 「どこから来たの?」という問いかけに「日本」と答えると、「僕もそうだよ!」と言われた事がクスッと来た。 ファラフェルは、近年のヴィーガンブーム(多国籍文化のため)によりとても人気があって、かなりボリューミーなのにたったの3€ほど。 分かってはいたが、食べきれなかったので、ここで初めて「ein packen bitte(包んでください)」というドイツ語をShuheiさんに教えていただいた。今後、かなり使うと思う(笑)。 ベルリンは夜21時を回っても薄暗い程度。行動時間にゆとりが持てる分、つい時計を見ることを忘れてしまうほど。 最後に「さくっと飲みに行く?」ということで、行きつけのお店に連れて来ていただいた。私が知り合った方には、いつも「行きつけのお店に連れて行ってください」とお願いする。 「nathanja und heinrich berlin」は、Neuköllnのいわゆる飲屋街から1ブロック外れにある、地元民で賑わうバー。水曜日の21時過ぎでこの繁盛ぶり。ここでようやく初ビール、昔ながらの南ドイツビールが冷えていて美味しかった(※ドイツのビールは常温で出るというのは違って、ちゃんと冷えてました)。 そこでShuheiさんの友人2人がたまたま合流し、4人でお酒を飲むことに。 それぞれのバックグラウンドは分からなくても、とても話し口調が魅力的で、またベルリンに来て2日目の私にも親切にしてくださった。この街の飲食事情や、昔遊びに行ったローラースケートイベントの話等、話し込んでいるうちにあっという間に23時に。 携帯の電源が残り1%しかなかった私(相変わらず懲りない)に対し、とても丁寧で分かりやすい手書きの地図をレシートの裏に書いてくださったMisatoさんに感謝。無事に迷う事なく帰る事ができました。 とても充実した1日で、帰ってすぐに伯母に嬉しかった事を報告。 まだ家探しや仕事関連も、やらなきゃいけない事が山積みのなか、一息ついてベルリンの楽しい、を教えてくだささった先輩方に感謝します。 やっぱり、仕事ができる人って「遊んでる人」だなと、改めて実感。異性間の遊びとか、そんな軽い話ではなく、体が丈夫で、休みの日も何処かに出かけていたり、ショートスリーパーでも平気な人。私の周りにはそんな30代、40代の方が沢山いて、毎日刺激をもらっています。

受け継ぐもの

4月中旬ごろ、約2年ぶりに高知の母の墓参りへ。伯母と旅行へする機会も今後めっきり減ってしまうので、親戚も住んでいる高知へ行きたいと志願した。高知での旅はいつもハプニングだらけで、今回も高知駅から中村駅行きへ乗り込むはずが、特急岡山駅行きの電車に乗ってしまうというミス。気付いた時には既に電車は発車しているし、優雅にお弁当なんて買っている場合では無かったことに冷や汗と焦りが。田舎のあるあるで、電車を乗り過ごす・間違えることは致命傷なので、即座に切り返し方法を探した。 早く出発したお陰で、後免駅で降りた後すぐに高知駅へ引き返せば間に合う事を知り、ここでほっとして笑いが止まらなくなった。案内板も見れないし、親戚が書き記してくれた電車にも乗れないなんて。 私の本名は「有岡」という地名から来ているんだと、父から聞いたことがあった。自分でも今の名前はとても気に入っていて、初め「あり」という読みだったけど、母が「ありんこで苛められたらかわいそうやない」ということで「ゆう」という読み方になった。 母が眠るお墓がある真静院は名前の通り、有岡駅から歩いて15分ほどの静かな小山の上に建つ礼拝堂で、ここはいつ来ても姿変わらずシンとしている。いつもッ母の大好きなアサヒビールと、あたりめや甘納豆を買って供える。 母が生きていたら、今の私をみてどう思うだろうと考えることがある。いい意味でも、私は母が亡くなってから弾けた。心で抑制していたものがまるで「千と千尋の神隠し」に出てくるオクサレ様のように、勢いよく外で爆発した。やりたいことを端から全て手をつけては辞めて、学校も辞めたり、家出もした。 30歳になろうという時に、ドイツへ移住すると決断した私のことを、母はどう思うんだろう。本当は結婚して、子供を授かり、父や母へ親孝行出来れば良かったのかな。そんな事を当日、お墓の前に来るまでそう思っていた。 いつも手を合わした後、必ずと言っていいほど、私の周りで1匹の虫が飛び回る事がある。ただ、今回は飛び回る虫も、体に纏わりつくような煙も無かった。勝手ながら、いつもその影を母だと思っていたけれど、今回は姿を現さなかった。 きっと、寂しがっているのかな。私と似て、最後はいつも平然でいたがるもんね。ただ、いつも以上にその日は空が眩しくて、私の事を不安がらせないように影ながら応援してくれているのかなと思った。頑張るね。もう立派な大人だもんね。親からの離脱、集団からの離脱、ひとりで生きていく力を今年は身につけられるように。 そして無事に30歳を迎え、ありがたい事に色んな業種の上司やキャリアの違う先輩方、古くからの友人にも食事に誘っていただいたり、そこで様々な「継承」を受けた。誕生日プレゼントも兼ねて、というのもあるけれど、今回はドイツへ飛び立つ前ということで、物だけではなく、これからの道しるべになるような言葉や自分軸の作り方について、仕事とプライベートの向き合い方について、生き方全般について、たくさんの知恵を受け継いだ。 仕事で成功されている方や、自分をしっかり持っている人に出会う機会が増え、またその人に「もと自分に自信を持っていいよ」と言われることがとても有り難い。プレッシャーや重圧を感じながら、これから1年間はしっかりビジョンを組んで動いていきたい。