documentary and culture magazine

母孝行

今日8月28日は、母が亡くなって19年目の命日なので、今日はなんの予定も入れず、ずっと母と対話しようと決めていた。私が唯一持ってきた一枚の母の写真と一緒に、今日は母の好きなビール(本当はアサヒビールが好きだけど)と、ケーキとお花を買いに出かけ、その途中でブログを書いている。

とにかく厳しくて、私の意思を全く無視してスカートを履かせ、大嫌いな女の子の服を着させたかった母に、毎日反抗し、家を出た後、近所の公衆便所で自分で選んだメンズライクの服に着替え、帰宅する頃に、母の指定したスカートルックに着替えていた。毎週スナックに通う母に付き添い、そこでいつも大量の小魚スナックとラムネを与えられ、母が楽しそうにオカマのママと談笑しているのをパジャマのまま見ていた。

そんな11歳の夏休み最終、母を亡くした時も一切涙は流れず、ただただ感情の発散方法がわからず、通常通り、なんでもない学校生活を送っていた。

時間が経つにつれ、母がいないことに対してやりきれない後悔と虚しさを感じ、それと同時に今まで母に全ての行動を縛られていた分、解放された犬のように私はどんどん野生化していった。この何十年か、私は母の死に対して、ただ自分の寂しい思いや、悔しさ、許しを請うような感情を剥き出しにするばかりで、30歳になるまでしっかり母親と落ち着いて対話をしてきてこなかった。

ベルリンに来て初めて、ようやく母の写真をじっくり眺め、母が好きなビールを一緒に飲んでいる。母が生きていたら、きっと私は結婚し、幸せな家庭を作っていただろう。それも全ては母の作戦だから(笑)。ごめんね、作戦通りにいつも動く子供じゃなくて。

ただ、母は純粋に私に安全な暮らしを与えたかったのだと思う。母が生涯、望んでいた暮らし。母は、いずれ私と2人で暮らしたかったのだと思う。その願いも、もし現在生きていれば、恐らく母は高所恐怖症なのでベルリンまではついてこれなかったんじゃないかなと思うと、霊魂となって自由自在に動き回れる分、母も今の方が人生楽しいんじゃないかなと思ったり…。

たまにクソ真面目な自分の性格が見えた時に、今でも私がやること成すこと、全部母に操作されていたり。なんて想像して「もうやめてー」と思いながらも、いつも守ってくれてありがとうと思っているよ。

今までネガティブな感情飛ばしまくって泣いてばかりでごめんね。私はもう自分を許すことにします。まだまだ時間はかかるけれど、今後は何かの形で、あなたに関しての作品を作れるようになりたいです。あと、結婚は期待しないでね(笑)。


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