documentary and culture magazine

受け継ぐもの

4月中旬ごろ、約2年ぶりに高知の母の墓参りへ。伯母と旅行へする機会も今後めっきり減ってしまうので、親戚も住んでいる高知へ行きたいと志願した。高知での旅はいつもハプニングだらけで、今回も高知駅から中村駅行きへ乗り込むはずが、特急岡山駅行きの電車に乗ってしまうというミス。気付いた時には既に電車は発車しているし、優雅にお弁当なんて買っている場合では無かったことに冷や汗と焦りが。田舎のあるあるで、電車を乗り過ごす・間違えることは致命傷なので、即座に切り返し方法を探した。

早く出発したお陰で、後免駅で降りた後すぐに高知駅へ引き返せば間に合う事を知り、ここでほっとして笑いが止まらなくなった。案内板も見れないし、親戚が書き記してくれた電車にも乗れないなんて。

私の本名は「有岡」という地名から来ているんだと、父から聞いたことがあった。自分でも今の名前はとても気に入っていて、初め「あり」という読みだったけど、母が「ありんこで苛められたらかわいそうやない」ということで「ゆう」という読み方になった。

母が眠るお墓がある真静院は名前の通り、有岡駅から歩いて15分ほどの静かな小山の上に建つ礼拝堂で、ここはいつ来ても姿変わらずシンとしている。いつもッ母の大好きなアサヒビールと、あたりめや甘納豆を買って供える。

母が生きていたら、今の私をみてどう思うだろうと考えることがある。いい意味でも、私は母が亡くなってから弾けた。心で抑制していたものがまるで「千と千尋の神隠し」に出てくるオクサレ様のように、勢いよく外で爆発した。やりたいことを端から全て手をつけては辞めて、学校も辞めたり、家出もした。

30歳になろうという時に、ドイツへ移住すると決断した私のことを、母はどう思うんだろう。本当は結婚して、子供を授かり、父や母へ親孝行出来れば良かったのかな。そんな事を当日、お墓の前に来るまでそう思っていた。

いつも手を合わした後、必ずと言っていいほど、私の周りで1匹の虫が飛び回る事がある。ただ、今回は飛び回る虫も、体に纏わりつくような煙も無かった。勝手ながら、いつもその影を母だと思っていたけれど、今回は姿を現さなかった。

きっと、寂しがっているのかな。私と似て、最後はいつも平然でいたがるもんね。ただ、いつも以上にその日は空が眩しくて、私の事を不安がらせないように影ながら応援してくれているのかなと思った。頑張るね。もう立派な大人だもんね。親からの離脱、集団からの離脱、ひとりで生きていく力を今年は身につけられるように。

そして無事に30歳を迎え、ありがたい事に色んな業種の上司やキャリアの違う先輩方、古くからの友人にも食事に誘っていただいたり、そこで様々な「継承」を受けた。誕生日プレゼントも兼ねて、というのもあるけれど、今回はドイツへ飛び立つ前ということで、物だけではなく、これからの道しるべになるような言葉や自分軸の作り方について、仕事とプライベートの向き合い方について、生き方全般について、たくさんの知恵を受け継いだ。

仕事で成功されている方や、自分をしっかり持っている人に出会う機会が増え、またその人に「もと自分に自信を持っていいよ」と言われることがとても有り難い。プレッシャーや重圧を感じながら、これから1年間はしっかりビジョンを組んで動いていきたい。


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